青林寺本堂建造物調査報告書
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青林寺本堂建造物調査報告書
青林寺(しょうりんじ)は新義真言宗智山派百間山西光院の末寺で星谷山千住院真光坊と称した。元々は、山崎の西方金塚にあったが、現在地に移転したという。宝暦3年(1753)頃の百間村絵図によると、青林寺境内は西光院領50
石の御朱印地であることから、現在地への移転は、徳川家康が江戸へ入府する以前と推定される。元禄10
年(1697)の百間村検地帳でも確認できる。弘化3 年(1846)春には本堂と庫裏建て替えが完成していたが、6月、本堂や庫裏とも焼失し、その後、嘉永3年(1850)の再建寄付帳が残るため、その後、再建されたと推定される。
明治12年(1879)から17年までは百間6ヶ村戸長役場、明治17年から22年までは百間中村連合戸長役場、明治22年から大正14年(1925)までは百間村役場として使用された。百間村役場時代は無住であったため、村職員が輪番で宿直をしたという。
平成17年に再び建て替えられた。この報告書は、平成16年度に取り壊された江戸時代末期の本堂の建造物調査報告書である。
明治12年(1879)から17年までは百間6ヶ村戸長役場、明治17年から22年までは百間中村連合戸長役場、明治22年から大正14年(1925)までは百間村役場として使用された。百間村役場時代は無住であったため、村職員が輪番で宿直をしたという。
平成17年に再び建て替えられた。この報告書は、平成16年度に取り壊された江戸時代末期の本堂の建造物調査報告書である。
青林寺本堂建造物調査報告書(小)
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