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あしあと

    第53回 「盛助」を語る(7)

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    これまで六回にわたって、旧制山形高等学校(以下、「山高」とします。)の卒業生の方々より、盛助氏の思い出についてお聞きできたことなどを中心にご紹介してきました。
    盛助氏に対する思い出は、直接お話をおうかがいするほかに、記念誌などへ寄せられた文章などからも読み取ることができます。
    今回は、『山高六十年/山形大学文理学部三十年/山形大学人文・理学部十年 記念誌 われらここに聚ふ』という、昭和五十五年十月五日に発行された記念誌の中から、抜粋してご紹介します。
    山高第一回文甲卒の佐藤通次氏は、「(前略)第一回生の私は、英語を第一外国語とする文科甲類であったので、島村先生には特に親しくしていただいた。下宿が先生のお宅の近くであったので、よく呼ばれて先生の晩酌のお相手をさせられた。そのお仕込でお酒は今日にいたるまで大へん強い。それよりも、微くんを帯びた先生が手を伸ばして背後の本棚から英詩の本などを取り出し、それを即興に訳して、訳を口ずさみながら推こうされるのを拝聴していて、コトバに対するセンスが養われ練られたことの影響が、もっと大きいと思う。(中略)そのような文字通りの恩師に、後年一つのご恩返しができたのは、私としては嬉しいことであった。それは昭和五年に岩波茂雄氏と会話の際、話のはずみから、島村先生を中心編者とする岩波英和辞典の話を生み出しまとめて差し上げたことである。(後略)」と述べています。この方は、後年に「岩波独和辞典」を共著出版された方です。ドイツ語の辞書の編さんに携われたわけですが、言語は違えども岩波英和辞典のような辞書をと、盛助氏の業績が教え子の目標になったことをうかがうことのできるお話です。
    第十一回文乙卒の渡辺達吉氏は、当時の教師陣の魅力として、次のように紹介しています。「(前略)旧制高等学校の魅力は教師の魅力でもある。
    その魅力とは、美や真理に対する感動を持ちつづけ、自らの内的な成長を怠らず、創造的な苦悩を秘めている魂のひびきのようなものである。「詩人の魂」とでもいうべきものである。
    島村苳三先生、岡本(信)さん、深町さんなどは、実際に詩作し、俳諧の道に学び、短歌を良くし、創作もされた。芸術性の高い多くの作品を残された。
    これら諸先生が学生に与えた影響は広く深い。今なお多くの卒業生によって敬愛の念をもって語りつがれている。だがそれは世にすぐれた分泌にたしなみによる故というよりは、教師としての学殖に裏付けられた詩的精神の持ち主であったからであろう。(後略)」
    第二十三回文乙卒の小島伊三郎氏は、「(前略)山高時代を思い出すごとに忘れられぬことに、島村先生の英語のテキストだった、Conrad Youthがある。
    ついでながら、先生の訳はうっとり聴きほれたものであった。今なら同時通訳というのであろう。日本語に異質な関係代名詞なども先生の名訳にかかると、流暢な訳文の中に消失してしまうのであった。(後略)」と述べています。そしてこの文に対するこの記念誌の編集者がつけた註には、「島村先生は、英語の関係代名詞を、下から逆のぼって訳す(○○するところの)ことを決して許しませんでした。英文にしても英会話にしても、その発想は常に上から下に流れるものだからです。」と述べています。
    このほか、思い出話の一部に盛助氏や盛助氏に関する話題が登場してくる部分があります。
    この記念誌自体は、山高六十年といった節目に、山高での思い出というテーマで卒業生に文章を募ったものであると思われます。もしも、「島村先生の思い出をまとめたい」というテーマで文章を募ったとしたら、もっといろいろなお話を読むことができたかもしれません。残念なことに、この記念誌に文章を寄せた方のほとんどがもう亡くなっていらっしゃるため、叶わない願いとなりました。

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