江戸時代前期から中期にかけての水争いの一事例~笠原沼をめぐる水争い~
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江戸時代前期から中期にかけての水争いの一事例
笠原沼をめぐる水争い
笠原沼をめぐる水争いは万治2年(1659)頃に笠原沼下流の村と笠原沼周囲の村が争ったのが確認できる最初の水争いです。その後、寛文2年(1672)、元禄6年(1693)、正徳5年(1715)、享保7年(1722)と多くの水争いがありましたが、江戸時代前期の水争いは、用水の取水の問題ではなく排水に絡む争いでした。笠原沼下流の百間村などは笠原沼から出る姫宮堀に堰を設け用水として取水していました。堰を設けることで笠原沼の水位が上がり周辺の村の田んぼに水がかかり根腐れを起こすため訴訟となりましたが、ほぼ全て、笠原沼下流の百間村などの勝訴となりました。
この発表は平成12年7月8日に宮代町周辺の市町の学芸員や文化財担当者の有志の勉強会である東部低地研究会(文献史学)の定例会で発表したものです。笠原沼造成の年代やその後の調査で解明されることが分かっていない段階の発表です。
江戸時代前期から中期にかけての水争いの一事例
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