指定文化財一覧
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宮代町指定文化財一覧
種別 | 名称 | 所在地 | 指定年月日 | 所有者等 | 備考 | |
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1 | 彫刻 | 西光院木造阿弥陀如来及び両脇侍像(3躯) | 東410番地 | 大正3年8月25日 | 西光院 | (独)東京国立博物館寄託 |
種別 | 名称 | 所在地 | 登録年月日 | 所有者等 | 備考 | |
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1 | 歴史資料 | 工業技術資料 | 学園台4-1-4 | 平成20年3月7日 | 日本工業大学 | 178点 |
2 | 歴史資料 | 百間小学校すべり台 | 字西原261-1番地 | 令和2年4月3日 | 宮代町 | 1基 |
種別 | 名称 | 所在地 | 指定年月日 | 所有者等 | 備考 | |
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1 | 建造物 | 五社神社本殿 | 東90番地 | 昭和37年3月10日 | 五社神社 |
種別 | 名称 | 所在地 | 選定年月日 | 所有者等 | 備考 | |
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1 | 重要遺跡 | 山崎遺跡 | 山崎 | 昭51年10月1日 | 個人及び公有地 |
種別 | 名称 | 所在地 | 指定年月日 | 所有者等 | 備考 | |
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1 | ―― | ――― | ――― | ――― | ――― | *指定解除のため、欠番 |
2 | 工芸品 | 宝生院鰐口(1口) | 中38番地 | 平成3年2月21日 | 宝生院 | 町郷土資料館借用 |
3 | 彫刻 | 西方院十一面観音像(1躯) | 和戸808番地 | 平成3年2月21日 | 西方院 | |
4 | 古文書 | 西光院中世文書(5点) | 東410番地 | 平成3年2月21日 変更平成28年3月31日 | 西光院 | 北条康成書状、北条氏房判物、太田資正判物写、北条康成書状写、北条氏房判物写 |
5 | 古文書 | 西光院朱印状(12通)付御朱印箱(1点) | 東410番地 | 平成3年2月21日 変更平成28年3月31日 | 西光院 | 家宣、家継、慶喜以外の将軍の朱印状 |
6 | 工芸品 | 姫宮神社絵馬(3点) | 姫宮373番地 | 平成3年2月21日 | 姫宮神社 | 熊野詣、富士講、富士の巻狩、熊野詣は郷土資料館借用 |
7 | 天然記念物 | 宝生院大イチョウ | 中38番地 | 平成3年2月21日 | 宝生院 | |
8 | 建造物 | 齋藤家住宅 付 物置・蔵 | 西原289番地 | 平成4年2月19日 | 宮代町 | 町郷土資料館内 |
9 | 建造物 | 進修館 | 西原289番地 | 平成4年2月19日 | 宮代町 | 町郷土資料館内 |
10 | 建造物 | 加藤家住宅 | 西原289番地 | 平成4年2月19日 | 宮代町 | 町郷土資料館内 |
11 | 彫刻 | 地蔵院阿弥陀如来坐像 | 西原289番地 | 平成15年4月1日 | 西原自治会 | 町郷土資料館寄託 |
12 | 古文書 | 戸田家文書 | 本田 | 平成16年4月1日 | 戸田義一 | 町郷土資料館寄託 |
13 | 古文書 | 折原家文書 | 山崎 | 平成16年4月1日 | 折原静佑 | 町郷土資料館寄託 |
14 | 考古資料 | 逆井遺跡第1号ブロック出土石器 | 西原289番地 | 平成16年4月1日 | 宮代町 | 町郷土資料館 |
15 | 古文書 | 岩崎家文書 | 西原289番地 | 平成18年4月1日 | 宮代町 | 道仏岩崎家より寄贈 |
16 | 歴史資料 | 川島庚申塔群 | 百間6丁目655番地 | 平成18年4月1日 | 切戸・川島庚申講中 | |
17 | 歴史資料 | 五社神社本殿箱付和鏡 付柄鏡及び台座 | 東90番地 | 平成18年4月1日 | 五社神社 | |
18 | 考古資料 | 前原遺跡出土縄文時代草創期微隆起線文土器 | 西原289番地 | 平成20年4月1日 | 宮代町 | 町郷土資料館 |
19 | 古文書 | 岡安家文書 | 西原289番地 大字東粂原 | 平成20年4月1日 | 宮代町 岡安邦彦 | 町郷土資料館(867点) 個人(14点) |
20 | 考古資料 | 前原遺跡出土旧石器時代石器群 | 西原289番地 | 平成22年4月1日 | 宮代町 | 町郷土資料館 |
21 | 古文書 | 関根家文書 | 字金原 | 平成22年4月1日 | 関根孝吉 | 町郷土資料館寄託 |
22 | 彫刻 | 円空仏(役行者倚像) | 字中38番地 | 平成24年3月31日 | 宝生院 | 町郷土資料館借用 |
23 | 彫刻 | 円空仏(如来形立像) | 大字須賀1264番地 | 平成24年3月31日 | 真蔵院 | |
24 | 彫刻 | 円空仏(菩薩形坐像二躯) | 大字和戸808番地 | 平成24年3月31日 | 西方院 | |
25 | 彫刻 | 円空仏(恵比寿天立像二躯、大黒天立像、護法神像) | 大字和戸 | 平成24年3月31日 | 個人 | 恵比寿天立像1躯、大黒天立像町郷土資料館借用 |
26 | 彫刻 | 円空仏(阿弥陀如来坐像、菩薩形坐像) | 大字和戸 | 平成24年3月31日 | 個人 | |
27 | 彫刻 | 円空仏(菩薩形坐像) | 大字和戸 | 平成24年3月31日 | 個人 | |
28 | 彫刻 | 円空仏(菩薩形坐像) | 大字和戸 | 平成24年3月31日 | 個人 | |
29 | 歴史資料 | 多少庵句碑 | 字東90番地 | 平成26年3月31日 | 五社神社 | |
30 | 歴史資料 | 多少庵俳額 | 字東90番地 | 平成26年3月31日 | 五社神社 | |
31 | 歴史資料 | 多少庵俳額 | 字姫宮373番地 | 平成26年3月31日 | 姫宮神社 | |
32 | 絵画 | 絹本着色徳川家康画像 | 字東410番地 | 平成28年3月31日 | 西光院 | |
33 | 工芸品 | 粟田口焼葵紋茶碗 | 字東410番地 | 平成28年3月31日 | 西光院 | |
34 | 歴史資料 | 和戸教会資料 | 和戸3-7-5西原289番地 | 平成30年3月31日 | 和戸教会、宮代町 | 和戸教会【古文書及び書籍類92点、書棚、説教講壇、窓枠(部分)】、町郷土資料館【窓枠】 |
35 | 有形民俗文化財 | 東粂原獅子舞用具 | 大字東粂原 | 令和6年3月31日 | 東粂原鷲宮神社 |
種別 | 名称 | 所在地 | 指定年月日 | 指定解除年月日 | 所有者等 | 備考 | |
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1 | 無形民俗文化財 | 東粂原獅子舞 | 東粂原367番地 | 昭和56年8月1日 | 令和4年4月18日 | 東粂原獅子舞保存会 |
西光院阿弥陀三尊像
国指定重要文化財(有形文化財)。平安時代中頃、浄土の教えの広まりとともに、来世に安楽をもとめる阿弥陀信仰が盛んになりました。こうした信仰を反映して、平安時代末期の安元2年(1176)に阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩の三体からなる阿弥陀三尊像が造られました。ヒノキ材を用いた寄木造で、おだやかな丸みのある像は、当時流行した定朝様式と呼ばれる特徴を良く表わしています。胎内銘から戦国時代の長禄2年(1458)に、修理が行われたことが分かります。大正3年、旧国宝(現在は国の重要文化財)に指定されました。
五社神社本殿
県指定有形文化財(建造物)
今から400年前の文禄・慶長期に建てられたもので、熊野三社、白山、山王の五社を一棟等間隔に合わせ祀るところから五社神社と称されています。平野部の五社を一棟に祀ったものとしては県内唯一であり、カエルマタの彫刻など優れており、建築様式としても貴重な建物です。
西方院十一面観音菩薩立像
町指定有形文化財(彫刻)
元は、西方院近くの観音堂の本尊で、高さ87.5cm、幅24cm、奥行13.5cmを計り、頭上に十一面をもった寄木造の観音像です。室町時代に作られたと推定され全体に堂々とした古い様相を見せています。幸手一色氏の寄進とも伝えられています。明治初年、観音堂が廃寺となったため、本寺である西方院が所有しています。
宝生院大イチョウ
町指定天然記念物
目通り5m10cm樹齢500年余りと推定される町内でも古い樹木の一つです。
東粂原獅子舞
町指定無形民俗文化財(令和4年4月18日解除)
この獅子舞は、延享2年(1745)頃から伝わるもので、毎年7月16日(現在はそれに近い日曜日)に東粂原鷲宮神社で奉納されます。男獅子、中獅子、女獅子の3頭獅子を中心にヒョットコ3人、笛方8人、歌方2人、天狗によって舞われます。梵天、花、女獅子隠しなど8通りからなる優雅な舞いが特徴です。
逆井遺跡第1号ブロック出土石器
町指定有形文化財(考古資料)
逆井遺跡の第1号ブロックからは、細石核10点、細石刃46点が発見されました。大宮台地における細石器の遺跡は、ほとんど発見例がなく、隣接する礫群とあわせて当該地域の先土器時代終末期の様相を研究する上で非常に貴重な事例であるといえます。
また、細石器とともに出土したガラス質黒色安山岩(石核、剥片など)については、栃木県の姿川、武子川周辺及び茨城県の大洗海岸を産地とすることが明らかとなっており、当時の人々の動きを考察する上で貴重な資料であるといえます。
細石器とは、先土器時代終末期に位置付けられる石器で、長さ2cm~3cm、幅0.5cm程度の小形の石刃(細石刃)を木や骨の側縁に複数並べて組み合すことで鋭い槍先やナイフとして使用された道具です。細石核とは、細石刃を剥がすために調整された素材(細石刃を剥がした後に残った素材)です。
細石核
細石刃・打面調整剥片
宝生院鰐口
町指定有形文化財(工芸品)。
この鰐口は元々姫宮神社にあったもので明治初年の神仏分離令により、姫宮神社の持寺であった宝生院に移されました。銘文には「武州太田庄南方百間鰐口一口」とあり、百間が太田荘の南方にあったことが分かります。なお、「百間」初見の資料です。
旧加藤家住宅
町指定有形文化財(建造物)。
旧加藤家住宅は宮代町本田(旧蓮谷村)の加藤家より移築・復原されたものです。加藤家は江戸時代初期から明治初頭まで代々蓮谷村の名主を勤めていました。面積は約240m2(約72坪)という大きな住宅で、広い土間と四間取りを基本とした田の字型の座敷、主客の間、ツノと呼ばれる付属屋が設けられています。文化10年(1813)前後に建てられたものと推定されます。
旧斎藤家住宅
町指定有形文化財(建造物)。
旧斎藤家の母屋・蔵・物置の3棟は元々この場所にあったものです。以前は納屋もありました。斎藤家は江戸時代中期から後期にかけて百間西原組の名主や組頭を代々勤めてきました。旧斎藤家には明治時代に建てられたと伝えられる母屋を中心として、蔵や物置(米蔵)があり、農家の屋敷の配置をそのままに残しています。母屋は187m2(約57坪)の面積です。内部は「田の字」型(四間取り)となっており、さらに6畳の奥座敷があります。周囲には屋敷林があり、「西原自然の森」の大切な緑であり、屋敷の配置とともに、この地域の農家の特徴的な景観をみせています。
斎藤家母屋
斎藤家土蔵
斎藤家物置(米蔵)
旧進修館
町指定有形文化財(建造物)。
明治5年(1872)の学制発布に伴い、町内にも4つの学校が開設され、その1つに百間小学校の前身である進修学校がありました。明治6年西光院を校舎として開校し、同7年進修学校と称されました。明治8年には宝生院、同43年には現在の場所に移転、名称も進修学校から百間学校、百間小学校などと称され今日に至っています。
旧進修館は明治44年10月建築された建物です。建学の精神を忘れないようにとの思いを込めて建てられたもので、明治時代の建築としても貴重な建物です。なお、コミュニティセンター進修館はこの進修館から名前をとりました。
現在の進修館(西原自然の森内)
移築前の進修館(百間小学校内)
地蔵院阿弥陀如来像
町指定有形文化財(仏像)。
檜材寄木造りで、後世に大幅な修理が施され、彫眼は玉眼に改められているが、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて造られたと推定される。
西光院中世文
太田資正判物写(年号不詳)
町指定有形文化財(古文書)。
岩付城主太田資正が、「百間6ケ寺の内3か寺が衰退しその跡を西光院に寄進するので、岩付城の繁栄を祈願するように」と伝えた文書です。
北条康成書状(元亀元年)
町指定有形文化財(古文書)。
岩付城代北条康成(玉縄城主)が、「岩付の当番衆が乱暴狼藉をしているそうであるが、その時は狼藉者の姓名を聞き出し小田原に訴えるようにせよ、きっとその者を罰する」とした証状です。この文書から、当時岩付城が領国の境目にあたる重要拠点として、在番制により維持されていたことがうかがわれます。
北条氏房判物(天正14年)
町指定有形文化財(古文書)。
岩付城主北条氏房が、「今までどおり百間の6ケ寺の支配と寺社の領地を認める」というものです。
西光院朱印状 付御朱印箱、絹本着色徳川家康画像、粟田口焼葵紋茶碗
西光院朱印状 付御朱印箱
町指定有形文化財(古文書)
西光院は、当初法相宗の寺でしたが、その後、中興開山日雄により真言宗に改められ、末寺・門徒・塔中あわせて27か寺もある大寺院となりました。そして、戦国時代岩付太田氏や小田原北条氏に保護されていたのと同様、徳川氏からも寺領50石を寄進されました。西光院に伝わる朱印状は、天正19年(1591)家康が西光院に寺領50石を寄進したときのものです。末尾に「福徳」とある丸い朱印が押されています。このほか6代、7代、15代を除いた歴代将軍の朱印状12通が残ります。御朱印箱の葵紋は家康から家光の時代に使用された紋でした。
絹本着色徳川家康画像
町指定文化財(絵画)
徳川家康画像は旧西光院東照宮の御神体でした。風帯や一文字なども一紙に描かれた「描表装」で、格式の高い寺社にあるようです。
粟田口焼葵紋茶碗
粟田口焼葵紋茶碗 町指定文化財(工芸品)
将軍家より拝領したと伝えられる葵紋入りの粟田口焼の茶碗も残されています。この茶碗の葵紋も家康から家光の時代の葵紋でした。高台の底裏には「粟田口」と刻印が刻まれています。
姫宮神社絵馬
町指定有形文化財(工芸品)。
姫宮神社には、44点の絵馬が確認されています。その内、熊野詣と富士の巻き狩り、富士講の3点が町指定文化財に指定されています。富士の巻き狩りの裏面には「享保弐年丁酉正月穀旦江戸桶町一丁メ河岸通樽屋七兵衛」とあります。
熊野詣
富士の巻き狩り
富士講
折原家文書
町指定有形文化財(古文書)。
平成9年に発見され、平成12年報告書が刊行されました。総点数3997点で江戸時代前期から昭和時代にかけての古文書群です。特に笠原沼開発前の絵図や古文書、元禄期の検地帳など、前の名主から引き継いだ重要書類が確認できます。折原家は江戸時代後期の弘化2年(1845)頃、百間村(百間本村)名主となり、その後百間村の戸長や杉戸宿の戸長なども勤めた家です。戦前・戦中の資料も多数あります。
戸田家文書
町指定有形文化財(古文書)。
平成4年報告書が刊行されました。総点数は254点です。江戸時代初期から中期の古文書群で宮代町でも古い古文書が多数残ります。戸田家は江戸時代中期に須賀村の名主を勤めました。その後、他家に名主を引き継いだと伝えられています。そのため、江戸時代中期の一時期のみの古文書が纏まって見つかったと推定されます。笠原沼の開発以前の水争いに伴う古文書や、元和5年の百間郷検地による須賀村の検地帳写などが残ります。検地帳には「武州騎東郡」とあり、一時期太田庄を騎東郡といっていたことが分かります。
お問い合わせ
宮代町役場教育推進課文化財保護担当(郷土資料館)
電話: 0480-34-8882
ファックス: 0480-32-5601
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