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    郷土史料「百間史料」

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    郷土史料「百間史料」

    百間志料(百間史料)は、明治四〇年に杉戸町永福寺住職山高龍観師の手により執筆されたものであり、一般に書写して流布されたものです。

    地勢考、沿革考、尼沼考、西光院考、姫宮考、旧家考の六編から成っています。また、本書は古老の口碑、新編武蔵風土記稿、田宮太田考(田宮時高)、安閑記、那須家家譜、梅松論、集異記(釋良宣)、和漢三才図会、百間記(百間始大縁記と思われる)、消閑録(馬貞丈)、職原抄大全、郷志稿本(相島時貞)等を参考に纏められています。

    地勢考は古老の口碑、新編武蔵風土記稿、田宮太田考(田宮時高)を元に、往古の百間の地形や、百間の地名の由来について記されています。

    沿革考は天平時代からの変遷について「新編武蔵風土記稿」を中心に述べられています。

    尼沼考は人魚の肉を食べて八百歳も長生きをしたという八百比丘尼について、百間記を中心にその伝承を纏めたものです。この八百比丘尼の伝承は全国に100か所以上の地に残されており、県内でも岩槻、東松山、さいたま市等に残されています。その伝承の中心は、若狭小浜(福井県)です。

    西光院考は百間の中心の寺である西光院について、百間記に記載されている行基、阿部仲麻呂、左甚五郎について、また、岩槻城の沿革について記しています。ことに、西光院の縁起について馬貞丈の記した消閑録巻五諸寺縁起の部を引用して「余天明元年八月二日西光院に遊びてその縁紀を見る巻末に署して慶長十年四月朔依旧記抄録法印日雄とあり」とあり、西光院中興第一世である日雄の記した百間のいわれの大意を記しています。それによると後に記す「百間始大縁記」「勧進帳」等と概ね同種の内容ともみられます。慶長14年が正しいとすれば、その後の西光院縁起の源となってものであろうと考えられ、現在知られる西光院や百間のいわれについて知る最も古い資料ですが、残念ながら現存しないので、詳細については明らかではありません。

    日雄は前述したように西光院中興一世で、現在の真言宗に改めた僧であり、その弟子には徳川家康の信任の厚く、新義真言宗智山派の総本山智積院第三世を務めた「日誉」、桶川倉田明星院の住職で新義真言宗の関東の触頭を務めた「祐長」がいます。

    姫宮考は姫宮神社に関する伝承等を纏めたものです。ことに鷲宮神社との関係、相島時貞の郷志稿本からの引用である宮目姫の伝説は興味深いです。「新編武蔵風土記稿」に、姫宮神社は延喜式に載せてある「宮目神社」との関係が記されていますが(一説には、騎西の玉敷神社内にある宮目神社とも言われています。なお、姫宮神社ではかつて宮目神社と刷られたお札を出していました。)それとの関係を窺い知ることが出来ます。

    旧家考は戦国期、上杉氏、岩槻太田氏に仕えた鈴木雅楽助について着到状等を載せています。また、細川高国に仕えた島村家についても触れています。

    このように、百間史料は、百間記(百間始大縁記)をもとにさまざまな伝承と、文献等に基づく検証を行いながら、百間の歴史、伝承等について纏められている資料です。

    百間史料

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