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あしあと

    第11回 島村家の系譜(10)

    • [初版公開日:]
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    島村盛助(5)

    東京帝国大学(以下、「帝大」とします。)の文科に入学した盛助は、文学科においてイギリス文学を学びました。
    この頃にはすでに、作家になりたいという希望があったのでしょうか。帝大の文科で発行していた雑誌である「帝国文学」に、『精神の眼』という喜劇の戯曲を発表しています。主人公である男女の結婚をテーマに書かれたこの戯曲は、「帝国文学」第十四巻第七・八・十号にわたって掲載されています。この戯曲を発表したとき、盛助はペンネームを「島村苳村」としています。しかし以降は、「島村苳三」となりますが、理由は不明です。
    明治四十二年七月、盛助は帝大を卒業します。この卒業証書授与式は天皇陛下が臨席されたようです。「卒業証書授与人名」という名簿をみると、「英吉利文学受験」の項目に盛助の名が見られますので、卒業試験を受けた専攻がイギリス文学であったことが確認できます。
    帝大を卒業してからの盛助は何をしていたのでしょうか。卒業直後からしばらくの間は、不明です。調査が至っていないせいもあるかもしれませんが、作品の掲載された雑誌が見つかっていません。明治四十三年三月刊行の「帝国文学」第十六巻第三号に、ロシアの作家であるメレジュコフスキー原作の『ジュリアンの最後』が掲載されているところをみると、翻訳に集中していたのかもしれません。
    盛助はこの『ジュリアンの最後』を始めとして、小説や翻訳(メレジュコフスキー原作のもの)を発表していきます。そして、明治四十四年四月二十八日から六月六日までの四十日間にわたり、読売新聞に小説「貝殻」を連載しました。この連載小説は後日、春陽堂から「現代文藝叢書第十三編」として刊行されました。

    東京帝国大学正門(絵はがき)の画像

    東京帝国大学正門(絵はがき)

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