第07回 島村家の系譜(6)
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島村盛助
これまでご紹介してきたとおり、島村家は江戸時代の初期から百間中村の名主を勤めた家でした。
島村家に遺された古文書の中には、名主をしていた当主が苗字帯刀を許された文書の「苗字帯刀免許状」や「苗字帯刀下知書」などがあり、また、「中小姓格仰付状」や「取締徒士格仰付状」などがあります。また、「明十一日九ツ半麻上下着用御役所江罷出候」と書かれた古文書もあります。麻上下とは、武士が出勤する際の定番の服装です。
これらのことから、当主の身分が武士として扱われていたことがわかります。
このような島村家の長男として盛助が生まれたのは、明治十七年八月九日のことでした。盛助の母は津ねといい、越谷の能楽師の家系の出身だそうです。
盛助には弟が二人、妹が四人いました。末の妹は、盛助が山形に赴任した後を追いかけるようにして山形へ行き、教師として英語を教えていたそうです。
盛助は地元の小学校を卒業すると、旧制浦和中学校、第一高等学校、東京帝国大学へと進みます。その過程のなかで、英語とのかかわりを深めていくようですが、そのきっかけが何であったのかはわかっていません。
中学から高等学校、帝国大学へと進む中で、腰に弁当を下げての中学通学は「裕福な家の長男が何故?自分で働くことを考える必要もないだろうに。」と、言う人もいたそうです。晩年の盛助が語ったところによると、世の中が新しく変わっていく中で、生家のように持っている土地から小作料が納められるなど、自らの手で稼ぐことの無いままに生活を送る世の中はいつか終わるだろう。いつかは自分の手で働いて稼ぐ時代がやってくるだろうから、学問を修めたのだといっていたそうです。
その後の社会の変貌を考えると、盛助には先見の明があったといえるかもしれませんね。
家族写真
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