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あしあと

    06.古墳時代の遺跡

    • [初版公開日:]
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    宮代町では弥生時代の遺跡は見つかっていませんが、古墳時代前期(約1,650年前)になると山崎山遺跡や地蔵院遺跡で集落が確認されています。特に山崎山遺跡では住居跡だけでなく、埼玉県で最古の鍛冶工房(下写真)が1軒発掘されました。さらに、古墳時代後期(約1,500~1,300年前)になると道仏遺跡で大型の集落が営まれたようです。この遺跡からは、お祭りに使用された滑石製のミニチュア石製品である剣形品や有孔円盤が出土しています。道仏遺跡から谷を隔てた南東側には宮代町で唯一確認されている姫宮神社古墳群があります。出土したハニワ片は約1,500~1,450年前ですので、もしかしたら、道仏遺跡にあったムラの首長やその一族の墓が姫宮神社古墳群である可能性もあります。

    最古の鍛冶工房の写真

    古墳時代の遺跡

    山崎山遺跡

    山崎山遺跡は、工場建設工事や県立養護学校建設等に伴う事前の発掘調査として、昭和57年度、昭和63年度、平成2年度、平成3年度、平成6年度に実施されました。平成2年度の調査では4世紀中頃の埼玉県内最古の鍛冶工房跡や竪穴住居跡なども発掘されています。竪穴住居の一つからは管玉と呼ばれる古墳などに副葬されることも多い碧玉製(出雲石)の管玉なども見つかっており、権力者がいたことを想像させます。鍛冶工房では、鉄挺と呼ばれる材料から鉄製品の形を作り出した大鍛冶の跡とそれを鍛錬させた小鍛冶の跡がまとまって出土しています。

    道仏遺跡

    道仏遺跡の写真

    道仏遺跡は道仏地区区画整理事務所建設に伴う事前の発掘調査として平成9年度に実施されました。調査の結果、古墳時代後期(6世紀中頃)の重複する住居跡7軒、土坑1基が検出されました。調査区全体が重複する住居跡の覆土で覆われていることや、小規模の発掘調査のため詳細は不明ですが、剣形品や有孔円盤などの石製模造品が多数出土したことから、この遺跡の重要性がうかがわれます。住居跡の1つは焼失住居跡で茅材や建築部材も多数検出されました。多くの土玉、土錘、紡錘車等の土製品、石製品も多数出土しています。住居跡の多くはいずれも北東側に竈があると推定されます。

    姫宮神社古墳

    姫宮神社古墳の写真
    姫宮神社古墳は個人住宅建設に伴う事前の試掘調査として平成7年度と平成11年度に実施されました。調査の結果、ハニワ片等が多量に出土し姫宮神社周辺だけでなく広く古墳が広がっていたことが確認されました。試掘調査で出土したハニワは約1,500~1,450年前のものだと推定されます。また、平成11年度には、姫宮神社境内で測量調査を実施しました。現状で古墳が確認されているのは本殿右手奥にある八幡神社のみでしたが、本殿や集会所付近も古墳である可能性が高まり、小さな古墳が多数存在する古墳群であったと推定されます。

    道仏遺跡と姫宮古墳

    沼や湿地に囲まれ、半島状突き出した台地の先端部に古代の道仏ムラがあります。ムラの周辺にヒエやムギ、マメなどを栽培した畑があったと推定されます。台地周囲の湿地の一部で水田が営まれていました。
    ムラ内には首長の屋敷や有力者の家である平地式住居や穀物を蓄えた高床倉庫、庶民の住居である竪穴住居、滑石製模造品を作っていた工房などもありました。ムラ南東部、湿地を挟んだ姫宮地区には、ムラの首長や有力者を葬った古墳が点在し宗教的な場所として重要視されていました。

    道仏遺跡と姫宮古墳の写真

    お問い合わせ

    宮代町役場教育推進課文化財保護担当(郷土資料館)

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    ファックス: 0480-32-5601

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