04 百間村絵図
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百間村絵図

村絵図は村の概況を平面図化したものです。縮尺もさまざまで村における必要事項を強調して描かれています。村にとって重要書類であったため、名主が変わるときには検地帳や明細帳とともに新たな名主に引き継ぎました。
この百間村絵図は宝暦年中(1750)頃の百間村(百間本村・金谷原組・西原組)の概況を描いたもので「御領分」が百間本村、「森川下総守分」が百間西原組、「松波甚兵衛分」が百間金谷原組です。青林寺・変照院・姫宮神社や道路の位置などから現在の場所と対比してみることができます。松永坊の位置が現在と違う場所にあったことも分かります。
絵図

午高入百間村新田絵図

寛延2年(1749)古利根川の河川敷であった場所(流作場)に午高入百間村新田が開発されました。現在の切戸から川島(字百間)地区の古利根際にあたります。
絵図

願書等を提出する際の添付書類として、村絵図が作成されました。名主・組頭が捺印しています。
この絵図は、午7月に名主源太左衛門、組頭七兵衛・利兵衛・孫左衛門・市郎左衛門が捺印し、「右は村絵図少も相違御座無く候う以上」と記載されています。
百間本村住宅図

明治5年頃の地図です。名前のうえに名字が記載されていることや屋敷地に番地が打たれているところが江戸時代の絵図と大きく違う点です。
現在の宿(字山崎)と川島・切戸(字百間)の屋敷地を詳しく記載しています。
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