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あしあと

    俳句、富士巻狩、富士講

    • [初版公開日:]
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    • ID:2568

    俳句

    写真

    文化8年に奉納された俳句の奉納額である。「当初願主ときわ」「東都評者収月」とある。東部地区の岩槻、春日部、宮代、杉戸など広範囲に渡る人々の俳句が記されている。また、終わりの句に春暁亭南枝の名が見える。
    南枝は、百間東の人で氏を中野という。江戸の多少庵一世秋瓜に俳句を学び、後に連渓庵と号した。死後、多少庵三世を送られその才を称えられている。なお、五社神社には文政3年(1820)に建立された南枝の句碑がある。江戸時代末期の天保8年(1837)島村鬼吉(多少庵四世)によって、当時南都六庵の一つと称されていた多少庵を当地に移し、以降埼玉・北葛飾郡等に広められ非常に盛んになった。
    当社の俳句の奉納額はこのほか明治、大正時代のものが2点ある。(表No.33)

    富士巻狩

    写真1
    写真2

    巻狩は、武士の武技鍛練の一つの方法として行われたものである。ことに、建久4年(1193)に源頼朝が富士の裾野で行った巻狩は有名であり、この絵馬はそのときの様子を描いたものである。「亨保2年(1717)酉正月 江戸桶町1丁目河岸通 樽屋七兵衛」と裏面に大書されている。江戸桶町は、今日の東京都中央区京橋あたりである。絵師は不詳。当社最古の絵馬であり、また最大の絵馬である。(宮代町指定文化財)(表No.3)

    富士講

    写真

    富士信仰は古代より行われ、ことに室町時代に盛んとなり江戸時代にはその絶頂を極めた。信者達が、信仰の団体を組織して富士登山を行う、いわゆる富士講が行われる様になった。その、富士講・富士登拝の様子を描いたのがこの絵馬である。おそらく富士登拝の記念として奉納したものと考えられる。絵師は、藤原守重とあり、富士山への登る人々の様子が克明に、また表情豊かに描かれている。笠には、武州の武の字が記されている。(表No.1)(宮代町指定文化財)

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