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あしあと

    06発掘された縄文時代のむら2

    • [初版公開日:]
    • [更新日:]
    • ID:2545

    金原遺跡1号方形柱穴列

    金原遺跡1号方形柱穴列の写真

    縄文時代後期称名寺式期(約3,500年前)の方形柱穴列である。この遺構は7本の柱跡からなる掘立柱の建物で普段生活をするため造られた竪穴住居とは違う性格の建物であると考えられる。規模は6m×4.5mを計る。この周囲からは多数の穴や土器が見つかっている。

    金原遺跡1号住居跡

    縄文時代後期称名寺期(約3,500年前)の住居跡で平面の形状は長径6.4m、短径5.4mを計る楕円を呈する。柱穴は13本を数える。炉跡の周囲から多数の土器が出土している。

    金原遺跡2号・6号住居跡

    金原遺跡2号・6号住居跡の写真

    縄文時代早期条痕文期の6号住居跡(約7,000年前)を縄文時代後期称名寺期(約3,500年前)の2号住居跡が壊して造られていた。

    2号住居跡は南側に出入口部が張り出したの柄鏡型の住居跡である。主体部は長径5.2mを計り、12本の柱跡が等間隔に壁にそって建てられて、中央部には煮炊きをした炉跡が造られていた。

    6号住居跡は2号住居の柄部により壊されていた。規模は長径4.5m、短径3.3mの長方形を呈します。石製の耳飾りなども出土している。

    金原遺跡3号住居跡

    金原遺跡3号住居跡の写真
    縄文時代後期称名寺期(約3,500年前)の出入口部が南側に張り出した柄鏡型の住居跡である。主体部は長径6.2mを計る金原遺跡で最も大きな住居跡である。主体部と柄部の接する地点に埋甕が埋納され、その北に炉跡が構築されていた。この住居跡は焼失住居であったため、炭化した建築部材も発掘されている。磨製石斧やミニチュア土器が出土した。

    金原遺跡4号住居跡

    金原遺跡4号住居跡の写真

    縄文時代後期称名寺期(約3,500年前)の住居跡で平面の形状は柄鏡形を呈する。主体部直径2.8mを計る円形で、柄部は1mを計る。柱穴は16本を数える。中央部で炉跡を検出した。3号住居跡と隣接している。陸田により削平されていたため、掘り込み部は確認できなかった。

    金原遺跡5号住居跡

    柱穴が8本確認されたため住居跡と断定した。すでに掘り込みは陸田により削平された上、炉跡があると推定された場所は攪乱を受けていた。周囲の遺物の分布状況から縄文時代後期称名寺期(約3,500年前)と推定される。

    金原遺跡7号住居跡

    金原遺跡7号住居跡の写真

    縄文時代後期称名寺期(約3,500年前)の住居跡で出入口部が南側に張り出した柄鏡型の住居跡である。中央部には煮炊きをした炉跡が確認されている。柱の穴は34本を数え、造り替えた跡も確認されている。ミニチュア土器が出土した。炉の近くからは土で作られた装飾品と考えられる指輪状の土製品も出土した。

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    宮代町役場教育推進課文化財保護担当(郷土資料館)

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    ファックス: 0480-32-5601

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