藍染め
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歴史
藍染めの職人を紺屋という。中世からはじまり、藍の栽培から藍建て(染料の生産)・藍染めを行っていたが、江戸時代になると藍建てと藍染めの工程だけをするようになり、別に藍玉の生産者である藍師が生まれた。紺屋は藍玉を買い、カメに入れフスマ・石灰・木灰を入れて温度を上げて藍液を作る。この技術は奈良時代にさかのぼるが、当時は暑い夏にしか染められなかった。室町時代になると藍甕を温める技術が発達し一年中藍染めができるようになった。
宮代の藍染め
現在、藍染めをしていたと確認できる家は2軒あり、どちらも初代は糸染めの紺屋で、のちに印ばんてん染め、京染めへと変わった。糸染めは明治中期のころからで、農家では自家用に綿を栽培し木綿糸を紡ぎ、機織をしていた。紺屋はそれを客の好みに合わせて染め、農家では紺の野良着や縞の寝具地(ヤグヂ)などに利用した。こうした紺屋は布染めも行い大正時代になると印ばんてんを染めることが主流になり、大正末期には農家が養蚕で取ったくず繭で織った白生地を好みの模様に染める仲介の仕事に変わっていったようである。
藍染めの道具
コバケ
ハリテ
シンシ
製品
印ばんてん
印ばんてん染めの製作工程
※印ばんてんは「ヌリバ」と「紺屋」の2種の職人の合作である。
- 型紙を作る
ヌリバは発注をうけて、印ばんてんの背中の大紋やコシジ(腰の模様)、襟地の文字の下絵を描き、型紙を作る。そして白く抜くためにのり〔防染糊〕を置き、乾燥を速めるためオガクズをかけて紺屋に届ける。 - のりを置く
大紋の部分など朱や茶にする場合、その部分の周囲、つまり白く抜くところにのりを置いた状態でヌリバが持ってきて、紺屋はその中の部分を朱や茶に染める。その後ヌリバは紺屋にきて、赤や青に染まったところ全体にのりを置く。 - 染め
のりは天気が良ければ2~3時間で乾く。のりが完全に乾いたら藍がめに浸して染める。 - のりを取る
染め上がったら、川に浸し、ミゴワラをササラのようにしたもので丁寧にのりを取る。 - 乾燥
脱水して張り場に干す。
お問い合わせ
宮代町役場教育推進課文化財保護担当(郷土資料館)
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ファックス: 0480-32-5601
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