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あしあと

    第51回 「盛助」を語る(5)

    • [初版公開日:]
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    旧制山形高等学校(以下、「山高」とします。)卒業生のお一人で、某有名家電メーカー社長に就任、現在は特別顧問をされている方がいます。山高は大正九年に新設され、盛助氏は昭和十九年まで英語科の教授を勤めましたが、この方は晩年の教え子となります。

    「島村先生というと、教授の制服であった黒いガウンをまとって教室に入ってこられる姿が思い浮かぶ。(特別展の)図録の表紙の写真は、普段見慣れた先生の様子ととても近いね。」
    「島村先生については、『岩波書店の辞書を作った先生だ。』という風に教えられていた。また、先生の風貌などからも、他の先生とは違う風に感じていた。」
    「山高で使用する英語の辞書は岩波英和辞典のみとされていたので、授業の予習や復習には必ずこの辞書を使用していた。授業中は、先生の雑談やおしゃべりはいっさい無く、教室に先生が入って来られるとすぐに授業内容に入っていく。先生が教科書の文を訳されていく言葉などを、一言一句聞き漏らさないように注意深く聞きながらノートをとっていった。とても楽しみな授業だった。授業でとったノートを大切にしていたのだが、戦火で焼いてしまったことが残念でならない。」
    「先生は、一番最初の授業のときから『日本語を大事にするように。』『正しい日本語で答えなさい。』と言われた。自分は山形出身ということもあり、正しい日本語がどういうものか知りようもなかったが、先生の訳された言葉が正しい日本語なのだなと感じていた。先生ご自身が翻訳されるにあたっても、相当に言葉を選んで使われている様子が伺えた。どうしても方言が出てしまうからか、よく注意していただいた。」

    盛助氏の「言葉に対する姿勢」のようなものがうかがえるエピソードです。

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