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あしあと

    20用排水の管理と笠原沼田んぼの暮らし

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    笠原沼田んぼやその下流域の田んぼに水を引くためには、笠原沼落堀や笠原沼代用水など用排水を管理しなければなりませんでした。そのために、第六天埋樋、上野田掛渡井・伏越、笠原沼囲堤の普請や藻刈りを行うために村々が連合して管理する組合が作られていたのです。
    しかし、堰などをめぐるトラブルも多数起こっています。宝暦12年(1762)には百間村の住民が京塚橋用水堀を切り崩し、溢れた水を笠原沼に流し込んだことによる争論、明和5年(1768)には笠原沼中落堀、逆井新田落堀の件で七ヶ村丁場と四ヶ村丁場が定められた争論など挙げればきりがありません。
    また、圦樋や掛渡井などの構造物は少し壊れた時は村々の負担で、大きく壊れた時は幕府に願い出て工事を行いました。こうして、田んぼは守られてきたのです。なお、中水道の堰(横手堤の石橋)の管理は昭和50年代まで行われていました。

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