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あしあと

    12笠原沼田んぼの一年

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    6月になると田んぼの準備をはじめます。天保5年(1834)の笠原沼百間中島村新田では、旧暦の5月7日から植えだし、20日までに終えたことが記されています。昭和の初め頃では、まず横手堤の石橋にあった中水道(笠原沼落堀)の堰を閉め、水位が上がった所でシロカキやノロアゲを行います。田面に上がったノロは栄養分を多量に含んでいるため肥料としてまく他、クロツケ用の泥として利用しました。
    一般的な田んぼに比べ笠原沼田んぼではクロの幅が広いのが特徴で、クロには稲を2列交互に植えました。田面に稲を植えてから20日後位にタコスリを使い一番コスリを行います。その後二番コスリ、一番クサ、二番クサ、三番クサとタノクサトリ(田の草取り)を行います。そして、10月中頃中水道の堰板を外し、田面の水を抜き、11月頃までに刈り取りを終えます。
    当時は、二毛作を行っていたため、田んぼが終わると麦や菜種を植えました。麦は11月頃、麦まきを行い、麦フミや麦サクリを定期的に行い、6月頃刈り取りました。6月は麦の刈り取りと稲の田植えが重なり非常に忙しかったようです。
    魚釣りは10月の終わり頃解禁となり、その時期になると近隣だけでなく東京からも釣り客がきました。その後は、四手網やツキヤス、カキサデなどで魚を捕ったり、ホッコミやキリコミで漁猟を行いました。

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