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あしあと

    09笠原沼新田の開発

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    笠原沼は、百間・蓮谷・須賀・久米原・爪田ヶ谷などの村々に囲まれた東西約2km、南北約0.9kmの大きな沼でした。享保9年(1724)、南側の逆井新田が池田新兵衛により開発され、続いて享保13年(1728)井沢弥惣兵衛為永によって笠原沼の本格的な開発が始められました。まず、見沼代用水から繋がる笠原沼代用水を掘り、笠原沼下流域の村々の用水源を確保しました。
    続いて沼の北側では、水除堤を造り、笠原沼へ流れ込んでいた爪田ヶ谷落堀や野牛高岩落堀を下流の姫宮落堀に繋げるため笠原付廻堀を掘り、排水を古利根川に落としました。一方、沼の南側でも水除堤を造り、沼に流れ込んでいた逆井新田落堀を沼下へ導きました。こうして、上流からの排水を流れ込まなくし、さらに、沼の水を抜くため中水道を、その下流に笠原沼落堀を掘り、姫宮落堀に接続させました。
    しかし、姫宮落堀との合流地点で水が溢れてしまったため、享保14年、新たに新堀を造り直接古利根川に排水しました。これにより、百間西原組、百間西村、百間東村、百間中島村、蓮谷村、須賀村、爪田ヶ谷村、久米原村、須賀村定八、下野田村藤助の8村と2人により、笠原沼の新田開発を行いました。さらに、窪地であったため、串歯状に堀を掘り、その土をかさ上げすることで田んぼにしたのです。こうして、沼は192石余りの笠原沼新田として生まれ変わりました。

    笠原沼代用水開削図の画像

    笠原沼代用水開削図(・・・が新規に開削した用排水)

    笠原沼耕地地籍図の画像

    笠原沼耕地地籍図(ほっつけの様子が分かります)

    笠原沼新田村請図の画像

    笠原沼新田村請図(周囲の村8カ村と2人により開発が行われました)

    古地図

    笠原沼新田絵図

    享保13年笠原沼新田割境絵図の写真

    享保13年笠原沼新田割境絵図

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