ページの先頭です

共通メニューなどをスキップして本文へ

あしあと

    01 旗本服部氏陣屋跡

    • [初版公開日:]
    • [更新日:]
    • ID:2376

    はじめに

    伝承旗本服部氏屋敷跡は平成12年2月の埼玉県教育委員会の県道拡幅に係る遺跡の所在確認調査によって初めて確認された。それまで、地元では服部氏の陣屋の存在を伝えるものは全くなく、僅かにこの周辺を「ヤブヤシキ」という大きな屋敷があった(青林寺住職高岡氏聞き取り)ことや「オトノサマノヤシキ」があったとも伝えられてきたようであるが、他の住民からは全くそれらしき伝承を聞くことはできなかった。しかし、明治40年に記された「百間史料」に「権太夫ガ屋敷跡ハ今ノ青林寺ノ境内及其北林是ナリト云ウ」とあり少なくとも明治時代後半までは、旗本服部氏の陣屋についての伝承が語り継がれていたことがわかる。

    執筆 宮代町教育委員会 河井伸一

    旗本服部氏陣屋推察の経緯

    「百間史料」に服部氏の陣屋が青林寺付近にあると記されていることや西原地区を横断する道を「馬場」ということ、さらには青林寺前と地蔵院前に城下町や宿場で見られるクランクがあることから、陣屋の存在が推察できたが、具体的なことは分からない状態であった。

    陣屋の所在を明確化するため、宮代町税務課所蔵の西原耕地地籍図を確認したところ、青林寺東側に細長い区画が残り、さらにこの周囲が百間西原組ではなく百間村の飛地が多いことを発見され、「百間史料」に残る旗本服部氏の陣屋が本地点ではないかということが改めて浮かんできた状態であった。また、西原地区東側の地蔵院遺跡ではふれ愛センター宮代や郷土資料館建設に伴い発掘調査が実施され、15世紀後半から17世紀代の遺物が多数発掘されており、西原地区全体が中世から近世初頭にかけての遺跡の可能性があると推察された。

    このようななか、平成12年2月、埼玉県文化財保護課により試掘調査が行われ、地籍図の細長い区画が堀であることを確認し、宮代町No.41遺跡「伝承旗本服部氏屋敷跡」として埋蔵文化財包蔵地に指定した。その後、試掘調査や発掘調査により包蔵地範囲を拡大しNo.7青林寺遺跡、No.34西原遺跡と併せ、「伝承旗本服部氏屋敷跡遺跡」と改称した。

    村別分布図及び堀の推定範囲

    字西原 村別分布図及び堀の推定範囲

    お問い合わせ

    宮代町役場教育推進課文化財保護担当(郷土資料館)

    電話: 0480-34-8882

    ファックス: 0480-32-5601

    電話番号のかけ間違いにご注意ください!

    お問い合わせフォーム