宮代町歴史年表
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- ID:1823
年号 | (西暦) | できごと 太字:宮代町関係 |
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BC | 10万年 | この頃日本最古の石器群が出現する。ナウマンゾウ、オオツノシカ、マンモス、日本に到来する。 |
25000 | ナイフ形石器用いられるようになる。 | |
12000 | この頃町内に石器を使う人々が移り住む。(前原遺跡) | |
11000 | 細石器文化伝わる。(逆井遺跡、金原遺跡) | |
10000 | 土器が作られ始める。(前原遺跡) | |
6000 | 前原遺跡に集落が営まれる。 | |
5000 | 地蔵院遺跡などで集落が営まれる。 | |
3500 | 道仏北遺跡などで集落が営まれる。 | |
2000 | 金原前遺跡や地蔵院遺跡で集落が営まれる。 | |
1500 | 西光院貝塚がつくられる。 | |
300 | 水田稲作が始められ弥生時代となる。 | |
57 | 倭の奴国王、漢の光武帝より金印を授けられる。 | |
AD | 0 | 埼玉に米作り伝わる。 |
250 | この頃、邪馬台国卑弥呼、魏に使いを送る。 | |
350 | 大和朝廷おこる。大和に大古墳つくられる。山崎山遺跡に鍛冶工房つくられる。 | |
500 | この頃、住居にカマドを設けるのが一般的となる。 | |
593 | 聖徳太子、推古天皇の摂政となる。 | |
600 | 山崎北遺跡、山崎山遺跡、道仏遺跡で集落が営まれる。 姫宮神社古墳群がつくられる。 | |
大化元年 | 645 | 大化改新。 |
大宝元年 | 701 | 大宝律令制定される。 |
和銅3年 | 710 | 平城京(奈良)に、都を移す。 |
延暦13年 | 794 | 平安京(京都)に、都を移す。 |
安元2年 | 1176 | 西光院の阿弥陀三尊像がつくられる。 |
建久3年 | 1192 | 源源朝、鎌倉に幕府を開く。 |
元久元年 | 1204 | 源頼朝の墓が荒らされ重宝が盗まれたが、武州洲河(須賀)の地頭が捕まえて恩賞をもらう。 |
承久 3年 | 1221 | 承久の乱。 |
寛喜2年 | 1230 | 小山朝政、孫小山長村に上須賀郷等の所領を譲る。 |
元弘3年 | 1333 | 鎌倉幕府、新田義貞に滅ぼされる。 |
建武元年 | 1334 | 建武の新政。 |
建武2年 | 1335 | 足利尊氏、小山常犬丸に武蔵国太田荘を与える。 |
延元3年 | 1338 | 足利尊氏、室町に幕府を開く。 |
貞治6年 | 1367 | 西光院内に宝篋印塔建立される。 |
永徳2年 | 1382 | 足利氏満、安保憲光に太田荘内須賀郷半分を与える。 |
応永2年 | 1395 | 足利氏満、安保憲光に須賀郷半分の替地として常陸国下妻荘小島郷半分を与える。 |
応永22年 | 1415 | この頃、鎌倉街道沿いの久米原、須賀に市が立つ。 |
応仁元年 | 1467 | 応仁の乱。 |
文明3年 | 1471 | この頃、盛んに板石塔婆つくられる。 |
永禄13年 | 1570 | 北条康成、西光院での乱暴狼藉を禁止する。 |
元亀3年 | 1572 | 北条氏政、鈴木雅楽助の着到を改める。 |
天正元年 | 1573 | 室町幕府、織田信長により滅ぼされる。 |
天正10年 | 1582 | 本能寺の変。 |
天正14年 | 1586 | 北条氏房、西光院に寺領を安堵し岩付城の繁栄を祈念する。 |
天正18年 | 1590 | 和戸、久米原、北条氏より鷲宮神社社領と認められる。 豊臣秀吉、小田原の北条氏を敗り、全国を統一する。徳川家康、関東入国。 |
天正19年 | 1591 | 徳川家康、西光院に寺領50石を寄進する。 |
文禄元年 | 1592 | 徳川家康、服部与十郎政季に太田荘百間郷3000石を与え、西原地区に陣屋を構える。 |
慶長5年 | 1600 | 関ヶ原の戦い。 |
慶長8年 | 1603 | 徳川家康、江戸に幕府を開く。 |
元和元年 | 1615 | 服部政季死去。嫡子政信、百間郷の領主となる。 |
元和5年 | 1619 | 旗本服部権太夫政信、静岡県今切に移封し、百間の地を去る。百間村と須賀村の検地が行われる。 |
寛永元年 | 1624 | 百間村と須賀村、旗本朽木氏・旗本池田氏・旗本永井氏に3分される。 |
寛永16年 | 1639 | 鎖国。 |
寛文12年 | 1672 | 水争い起こる。(騎西領と百間村) |
貞亨元年 | 1684 | 仙台伊達家の鷹場に、須賀、道仏等の名が見られる。館林徳川綱吉、5代将軍となる。 |
元禄6年 | 1693 | 水争い起こる。(百間村と須賀村・久米原村・瓜田谷村) |
元禄8年 | 1695 | 百間中、百間東、百間中島村が百間村より分村する。 |
元禄10年 | 1697 | 百間村に改めて検地行われる。 |
享保元年 | 1716 | 享保の改革。盛んに新田開発される。 |
享保7年 | 1722 | 水争い起こる。(百間村・道仏村・西村・東村と久米原村・瓜田谷村) |
享保9年 | 1724 | 池田新兵衛によって逆井地区の開発が行われる。 |
享保13年 | 1728 | 井沢弥惣兵衛によって笠原沼の開発が行われる。 |
延享2年 | 1745 | この頃から、東粂原鷲宮神社獅子舞が始まる。 |
寛延2年 | 1749 | 古利根川の流作場に新田(字中島、宮東、百間)が開発される。 |
明和8年 | 1771 | 百間四ケ村請新田(字逆井)が開発される。 |
文化6年 | 1809 | 水争い起こる。(西粂原村と中島村、蓮谷村、須賀村) |
文政3年 | 1820 | 俳人中野南枝の句碑建立される。 |
天保8年 | 1837 | 俳人島村鬼吉、江戸六庵の一つ多少庵を当地に移す。 |
慶応3年 | 1867 | 大政奉還。江戸幕府滅ぶ。 |
明治元年 | 1868 | 明治維新。矢部造酒之丞、西粂原に私塾「寧倹義塾」を開設する。 |
明治4年 | 1871 | 廃藩置県実施される。町内の各村は浦和県、佐倉県、小菅県に所属する。 |
明治6年 | 1873 | 地租改正。進修学校(現百間小学校)、西條学校(現須賀小学校)設置される。 |
明治7年 | 1874 | 和戸学校設置される。 |
明治9年 | 1876 | 中島学校設置される。 |
明治11年 | 1878 | 和戸キリスト教会設置される。 |
明治12年 | 1879 | 岩槻に南埼玉郡役所開庁。 |
明治17年 | 1884 | 連合戸長役場制により百間中村連合(百間各村)東粂原村連合(須賀各村)に町内の各村所属する。 |
明治22年 | 1889 | 大日本帝国憲法発布。須賀村、百間村に町内の各村統合される。 |
明治23年 | 1890 | 帝国議会開かれる。大雨により洪水。百間村浸水100戸、須賀村82戸。 |
明治27年 | 1894 | 日清戦争。 |
明治32年 | 1899 | 杉戸駅(現東武動物公園駅)、和戸駅開設される。 |
明治37年 | 1904 | 日露戦争。 |
明治43年 | 1910 | 韓国合併。大雨のため利根川決壊。大洪水。 |
大正12年 | 1923 | 関東大震災。百間村全壊150戸、須賀村60戸。 |
昭和5年 | 1930 | 百間村の大字・小字が廃止され字が設置される。 |
昭和6年 | 1931 | 満州事変。 |
昭和8年 | 1933 | 百間小学校川島分教場開校(現東小学校) |
昭和11年 | 1936 | 日中戦争。 |
昭和16年 | 1941 | 太平洋戦争。 |
昭和20年 | 1945 | 広島、長崎に原爆投下。終戦。 |
昭和22年 | 1947 | 日本国憲法施行。百間中学校、須賀中学校開校。キャサリン台風関東を襲う。 (須賀村浸水736戸、百間村浸水1,023戸) |
昭和30年 | 1955 | 百間村、須賀村合併し、宮代町が成立する。 |
お問い合わせ
宮代町役場教育推進課文化財保護担当(郷土資料館)
電話: 0480-34-8882
ファックス: 0480-32-5601
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