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郷土史料「多少庵俳檀史」

[2016年11月24日]

ID:2880

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郷土史料「多少庵俳檀史」

「多少庵俳壇史」は俳諧結社の多少庵の歴史をまとめたもので、明治40年に刊行されました。多少庵は元々、松尾芭蕉の流れを組む人たちにより江戸深川で結社されました。その後、俳諧文化は江戸だけでなく、粕壁や百間、杉戸など埼玉県東部地区に広がりました。そして、この俳諧文化を広めた代表者が百間東村の中野南枝や蓮谷村の加藤素秋、杉戸宿の海老原古行、百間中村の島村鬼吉などです。天保8年(1837)に多少庵四世となった百間中村の島村鬼吉は多少庵を江戸深川から、百間に移しました。こうして、百間は本地域の俳諧文化の中心地となりました。最盛期には、その範囲は北は騎西、加須、羽生から南は岩槻、粕壁を中心に一部は江戸にも及んでいました。

この「多少庵俳壇史」は多少庵の俳系を、松尾芭蕉から多少庵八世の賀島琢我の時代に至るまでの代々の師匠とその門下の俳人について、人となりやエピソード、句歴などが詳しく記されており、読み物としても十分に楽しめます。俳人の多くが本地域の宿場や村の名主や本陣、組頭などを勤める有力な家の出身者が多いといえますが、普通の農民や商人、飯盛女(女郎)などもいて、広い層に俳諧文化が広まっていたことが分かります。

多少庵俳檀史

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