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あしあと

    03 旧村の名主文書

    • [初版公開日:]
    • [更新日:]
    • ID:2650

    宿 折原家文書

    折原家は百間本村に属し、弘化年間(1845年頃)それまでの世襲名主(松永源太左衛門家)から名主職を引き継ぎました。弘化年間以前の古文書は、この時期に引き継いだものと考えられます。そして、幕末から明治初頭まで清次郎、清左衛門、清輔と代々名主職を引き継いだことが古文書からうかがえます。折原家に残された古文書は江戸時代初期から明治時代にかけてのもので、検地帳や水争い関係の裁許状、宗門改帳、廻状、御用留、五人組帳、名寄帳、村絵図など多種にわたります。現在整理中ですが5,500点にものぼると推定されます。

    山崎 市川家文書

    市川家は百間西原上組に属し、文政年間(1820年頃)以降百間西原上組の名主職にあったことが確認されています。また、明治初頭には、百間本村・百間西原組を代表する戸長職にあり、佐次右衛門、佐五右衛門が代々名主等を務めてきました。市川家に残された古文書は江戸時代末期から明治時代のもので年貢受取帳や願書、田畑其外直段書上帳など約600点が現在整理中です。

    東粂原 岡安家文書

    岡安家は旗本細井氏が支配した東粂原村の名主で江戸時代中頃から代々名主職を受け継ぎ、幸右衛門、幸重郎、仙蔵と名主を出したことが古文書から明らかとなっています。岡安家文書は、江戸時代の中期から後期にかけての検地帳や年貢割付状、皆済証文、願書、質地証文など、年貢(税金)・土地関係の文書が主体を占め、813点が現在整理中です。

    須賀 石橋家文書

    旗本永井氏が支配した須賀村は私的に須賀本村(本田)と須賀新田村とに分けられていました。石橋家は江戸時代中頃に須賀本村の名主として加右衛門、伴右衛門を出しています。石橋家文書の多くは質地証文が多数を占めますがが、その中に年貢割付が1点ありました。おそらく、多くの文書は次に名主をした家に引き継がれたものと考えられます。約180点の古文書を現在整理中です。

    辰新田 戸田家文書

    戸田家は江戸時代初期から中期にかけて旗本永井氏が支配した須賀村の名主職を勤め、権兵衛、政右衛門を出しています。須賀村は須賀本田(本村)と須賀新田とに分けられており戸田家は須賀新田に属します。注目される古文書は元和5年(1619)の検地帳で騎東郡の記載があります。また、笠原沼新田が開発される前の関係文書や江戸時代初期の年貢割付状、明細帳などもあり、注目すべき文書群です。総点数は254点です。

    道仏 岩崎家文書

    岩崎家は江戸時代中期から明治初頭にかけて百間中島村の名主職を勤め、代々文次郎を襲名しています。古文書は江戸時代中期から明治時代にかけてのもので、笠原沼・逆井両新田の検地帳や村絵図、年貢割付状、皆済目録、廻状、願書など4,147点が確認されています。

    西原 新井家文書

    新井家は百間西原下組に属し江戸時代中期には組頭を勤め後期には年番名主、末期には名主を勤め代々四郎左衛門を襲名しています。新井家文書は江戸時代中期から明治時代にかけてのものでその多くは江戸時代後期以降のものです。年貢割付状や皆済目録、宗門人別帳、五人組帳など総点数4,410点を数えます。

    中 島村家文書

    島村家は百間中村の世襲名主で代々新右衛門を名乗っています。また、江戸六庵の一つ多少庵を百間中村に移した島村鬼吉も名主を勤めました。古文書は約50点ありそのほとんどは俳句関係のものと名主仰付状など家関係のものが中心です。

    国納 遠藤家文書

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    遠藤家は国納村の名主を勤めた家で7点の古文書が確認されています。

    和戸宿 鈴木家文書

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    鈴木家は江戸時代後期和戸村の年番名主を勤め、代々浅右衛を名乗っています。古文書は1点だけですが、村の状況がわかる和戸村明細帳です。

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