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02.平安・鎌倉時代の宮代町

[2016年11月22日]

ID:2608

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宮代町周辺は奈良時代から平安時代にかけて大田郷と呼ばれていました。その後、藤原秀郷の子孫である太田行尊により太田荘が開発されたと伝えられています。平安時代も終わりの頃になると地方の治安も乱れ、武士が台頭します。そのような中で西光院の阿弥陀三尊像や地蔵院の阿弥陀如来坐像が造られました。源頼朝により鎌倉幕府が開かれると宮代周辺は小山氏などの所領となったようです。小山氏などの御家人は鎌倉街道を通り鎌倉へ馳せ参じました。当町にも鎌倉街道と伝えられる古道が残っています。

西光院阿弥陀三尊像

この仏像は安元2年(1176)に造られたもので、室町時代の長禄2年(1458)に修理が行われたことが阿弥陀如来像内に記された墨書により明らかとなっています。定朝様式と呼ばれる丸味を帯びたふくよかな造りを特徴としています。なお、本像は国の重要文化財に指定されており、上野にある東京国立博物館に保管されています。

西光院阿弥陀三尊像の写真

地蔵院阿弥陀如来坐像

この仏像は字西原の地蔵院に伝わるもので、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて造られたものです。地蔵院周辺は鎌倉時代から室町時代の遺構や遺物が発掘されていることから、これらの遺跡と関係があるのかもしれません。

地蔵院阿弥陀如来坐像の写真

吾妻鏡

吾妻鏡は、鎌倉幕府が編さんした書物です。元久元年(1204)鎌倉法華堂の重宝を盗んだ盗賊を武州洲河(須賀)の地頭が捕らえたと記されています。

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