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あしあと

    新しい村 について(2003年)

    • [初版公開日:]
    • [更新日:]
    • ID:396

    宮代町の概要

    宮代町は埼玉県東北部にあり、首都圏四十キロに位置している。
    昭和三十年の合併時には人口一万人ほどの純農村だった宮代町も、高度経済成長期以後は東京のベッドタウンとして人口が急増し、現在の人口は三万五千人弱となっている。

    農地と農家

    過去何度かの町民意識調査では「今後も宮代町に住み続けたい」という積極的な理由に多くの町民が自然環境の良さを上げていた。
    しかし山や海のような自然がない宮代町にとっての自然環境は水田や畑、農業用水路、農家の屋敷林など、人の手によって作り出された「自然」であり、町の面積の半分を占めている。
    こうした「自然面」を維持している農家の数は危機的なまでに減っており、かつては五割近かった農家世帯の割合も、わずか六パーセントにまで減少している。
    空から見た宮代町

    農のあるまちづくり計画

    農地は生態系、景観、災害、地産地消、教育、福祉など多くのものにつながって行く。「農地」は農家だけのものではなく、全ての町民に恩恵をもたらしている。町民全体でこのことを考え、行動して行く必要があった。
    宮代町ではこうした考えをもとに、多くの町民に呼びかけてワークショップや農業市などを開催した。広報紙への記事連載などにより、農家以外の町民にとっても農地が必要であることを訴えた。
    平成九年度には「農のあるまちづくり計画」を策定し、町民の代表としての商店主、主婦、農家、そして役場職員がパネラーとなってシンポジウムを行った。

    消費者として地元産農産物を消費することや、農家でなくとも自らが市民農園などで農作業を行うことなどが宮代町の「農」の空間を維持することにつながる。地域のアイデンティティという点においても、そのことこそがこの町の将来にとって重要である、そんな内容が議論された。

    新しい村~コミュニティの創造

    「農のあるまちづくり計画」の主要施策の一つが「新しい村」だった。

    山崎地区は東武動物公園南東に隣接し、開発から守られた集落だった。農家の屋敷林、平地林など里山のような風景が今も残っている。しかし耕作が困難な低地にある農地は、年々不耕作地となっていった。ごみの不法投棄もあとを絶たなかった。
    宮代町では「農のあるまちづくり」計画に基づき、平成十年からこのエリアを「新しい村」という名称で整備した。コンクリート護岸を壊し、土水路にした。直角に走る道路をあえてS字に曲げ、アスファルトをはがした。

    名称を「新しい村」としたのは、以前から宮代に住んでいた人も、ベッドタウン化した後に宮代に移り住んだ人も、農家も商業者も消費者も、「農」という地域資源を媒介として、「新しいコミュニティ」を創造し、そして、それを町全体に広げて行く、そんなエリアにしたいと考えたからだ。
    エリア内には市民農園とともに「村」の公民館ともいえる「農の家」を整備した。今、これらの施設では日常的に、農家と消費者が野菜の作り方を談じている姿を見ることができる。

    手動ポンプで水を出す子どもたち

    新しい村~新しい農業の形

    「農のあるまちづくり計画」のもう一つの主要施策が「マーケット計画」だった。

    農家が農地を維持するためには「業」として成り立たなければならない。
    すでに農家の努力と消費者グループなどの「応援」によって集落ごとの「直売所」は成果を上げ始めていたが、「業」として成立するまでには至っておらず、「小遣い稼ぎ」の域を出ていなかった。
    こうした取り組みを将来につなげるためには、行政として積極的な後押しをし、次の局面につなげる必要があったことから、「新しい村」内に農産物の中央市場、ともいえる農産物直売所「森の市場 結(ゆい)」を開設した。

    この「市場」は農家を大いに刺激した。自宅で消費するだけだった野菜を計画的に多めに作って出荷する、消費者に好まれる野菜を研究する、そんな農家が増えた。
    作った人の「顔」が見える、地元産の野菜は消費者にも好評を博している。秋に販売する「新米」はあっという間に品切れとなった。
    農業生産を請け負う組織も作った。苗の販売、農作業の受委託ができる施設を「新しい村」内につくった。

    ほっつけ田

    かつて宮代町には「ほっつけ田」と呼ばれる農地があった。
    水のたまりやすい低い土地で水田を営むために、掘りあげた土の上で稲作を行う。掘り下げられた地面は水路となり、排水に用いられたが、そこは淡水魚や小生物の宝庫だった。田の形は不恰好だったが、見方によっては、人間が自然に手を入れ、共生していることによる美しさがあった。春・夏・秋・冬、それぞれに表情があった。

    しかし、この「ほっつけ田」も高度経済成長以降はすっかり姿を消してしまった。
    「ほっつけ田」を再生させよう、という機運が町民から起こった。町では草が生えるままにまかせていた「ほっつけ田」を「新しい村」内に再生した。

    再生された「ほっつけ田」では小学校の子どもたち、環境グループ、役場の職員、オーナー制公募に手を上げた町民が、ほっつけに苗を植えた。
    秋、大人たちも子どもちと一緒に水路に戻って来たタニシ、メダカ、タナゴに夢中になっている。

    世代や性別、職業を越えた多くの町民が一緒になって「ほっつけ田」で稲刈りをする光景からは「郷土、宮代を愛する」姿が見えてくる。「農のあるまちづくり」という理念がコミュニティを一つにした。そう思わせる光景だ。

    ほっつけの稲刈りの様子

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    宮代町役場企画財政課対話のまちづくり推進担当

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