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04.中世の遺物

[2016年11月22日]

ID:2627

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仏像・金工品

真蔵院木造如来形立像

真蔵院木造如来形立像の写真

笈岳(おいつるがたけ)出土光福寺銘経筒

笈岳(おいつるがたけ)出土光福寺銘経筒の写真

永正15年(1518)に光福寺(西光院)の僧である実栄が旦那である正朝に生前供養を依頼され、六十六部聖である十覚坊に託し、修験道の霊場である笈岳(石川県)に埋めたものと推定されます。(独立行政法人東京国立博物館所蔵)

宝生院鰐口

宝生院鰐口の写真

この鰐口は、応永21年(1414)に旦那の大夫五郎により姫宮神社に奉納されたものです。その後、明治時代に神仏分離令により姫宮神社の別当寺であった宝生院に移されたものと推定
されます。

西光院阿弥陀堂蟇股

西光院は奈良時代の僧行基の草創と伝えられる。阿弥陀堂は江戸時代には西光院の境外地にあったが、元々は本堂であった。
解体修理を行うため解体した部材を西光院客殿脇に置いていたが、昭和27 年の西光院の火災により焼失した。現在は蟇股が残るのみである。

板碑と石造物

板碑は一般的に「板石塔婆」、「青石塔婆」とも呼ばれ本来供養のために建立した塔婆の一種です。全国的にその分布は見られますが、埼玉県を中心に分布する武蔵型板碑は荒川上流で産する緑泥片岩を用いています。鎌倉時代のものは地方豪族や僧侶によって造立されたようです。室町時代から戦国時代にかけては、造立者が地方豪族や僧侶から庶民にまで広がったことにより小型化し簡略化したものが多いようです。宮代町では15世紀後半の小型化したものが多く、特に百間地区では全体の60%を占めています。

宝篋印塔や五輪塔は塔婆の一形式で主に供養塔などとして盛んに建てられました。宮代町で確認できる中世石造物は宝篋印塔と五輪塔で、いずれも完全な形態のものはなく一部だけです。計28基のうち27基が百間地区で確認されています。特に西原の青林寺では14基を数えます。

宝篋印塔(西光院所蔵)

宝篋印塔(西光院所蔵)の写真

板碑(小島雅郎氏所蔵)

板碑(小島雅郎氏所蔵)の写真

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