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昭和22年のカスリーン台風と宮代町

[2018年10月30日]

ID:3746

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図 昭和22年洪水氾濫実績(資料:国土交通省関東地方整備局利根川上流河川事務所)
注:当時と比較すると、現在は田畑も減少しているため、浸水の始まる時間は大幅に早くなりますので、一層の注意が必要です(利根川、荒川のはん濫シミュレーション参照)。

カスリーン台風と前線活動による大雨が続いた昭和22年(1947 年)9月16 日午前0 時20 分頃、現在の大利根町の新川通地先で利根川の堤防が決壊しました。

はん濫流は午前10 時頃に幸手付近を通過し、久喜付近に続いて13時頃には旧須賀村北部から町域への浸水が始まりました。このあと、備前堀川、備前前堀川、姫宮落川などの各河川が決壊・はん濫し、18時頃には旧百間村中島の古利根川が幅約20 間(36 メートル)にわたって決壊、町内の低地のほとんどが浸水し、午後11 時には隼人堀川付近にまで達しました。

このときのはん濫流は、さらに本県の東部を流れ下り、5 日目には東京東部の低地に達し、各地に大きな被害をもたらしました。

浸水戸数は、当時の須賀村で床上736 戸、百間村で同766 戸に達し、5 日以上も水が引かず浸水が続きました。

百間村では、翌17 日以降西光院、百間小学校、同分校(現東小学校)、中学校(青年学校跡地)、姫宮神社の5 箇所に避難所を設置し、784人を収容、5 日以上にわたって炊き出しが実施されました。〔宮代町史より〕      

写真:昭和22年カスリーン台風時の町内の様子
山崎地区の青年団による救助活動/赤松浅間神社前(青木氏所蔵)

利根川の浸水の様子は、国土地理院の詳細な調査報告がありますので、参考にしてください。

また、はん濫当時○○にお住まいの方は、ご自身の体験をまとめられています。

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