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平成24年度企画展「南埼玉郡と宮代町」開催

[2016年11月28日]

ID:3529

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平成24年度企画展「南埼玉郡と宮代町」開催

一般的に南埼玉郡と言うと宮代町、白岡町、菖蒲町だけと思われがちですが、昭和29年までは北は鷲宮町から久喜町、岩槻町、粕壁町(春日部市)を経て、南は越ヶ谷町、潮止村(八潮市)に至る南北に長い郡であったのです。
さらには、明治12年から大正15年までは南埼玉郡役所が岩槻町に置かれ、地方自治体の南埼玉郡として行政が行われていました。
この度、白岡町が市制を施行したことにより、宮代町が唯一の南埼玉郡所属の町となったことから、この展示会が企画されました。これを機会に、本来の南埼玉郡の範囲や歴史を知って頂けると有難いと存じます。是非ご来館ください。展示会は5月6日(月・祝)まで。

展示風景 その1

展示風景 その2

埼玉県と昭和29年以前の南埼玉郡と宮代町

明治5年、旧埼玉県が成立すると県内を24区に分け、区務所が置かれました。宮代町の多くの村は第6区に所属しました。第6区の区務所は杉戸宿に置かれました。粕壁宿は第5区、岩槻町は第20区、菖蒲町は第18区、大宮宿は第21区、浦和宿は第22区に属しました。

第6区区務所跡(杉戸宿問屋場跡)

南埼玉郡役所跡(旧岩槻市役所)

埼玉郡は平安時代に作成された百科事典「和名類聚抄」に初めて出てきますが、鎌倉時代から戦国時代にかけては太田庄と呼ばれるようになります。写真は大田庄と書かれた徳川家康朱印状(西光院)

第六区副区長任命状
百間村の元名主の折原栄清は埼玉県第6区の副区長に任命されました。後に杉戸宿戸長を勤めることになります。

百間村検地帳
江戸時代に入ると埼玉郡と再び呼ばれるようになります。

南埼玉郡全図(大正2年)

埼玉県置郡分画図

南埼玉郡役所職員録

明治27年の南埼玉郡
6町(岩槻町、粕壁町、越ヶ谷町、大沢町、久喜町、菖蒲町)36村

南埼玉郡役所が豊春村(春日部市)に出した関東大震災における被害者の調査を依頼した通知(春日部市郷土資料館)

南埼玉郡役所(右)と郡会議事堂(左)(南埼玉郡制誌より)

南埼玉郡会議事堂前での記念写真(南埼玉郡制誌より)

南埼玉郡通常郡会会議録

南埼玉郡役所が出した左官職の鑑札(蓮田市文化財展示館寄託)

郡会議員当選証書

鷲宮村役場・鷲宮町役場(久喜市立郷土資料館)
昭和29年まで鷲宮(わしのみや)町は南埼玉郡でした。北葛飾郡桜田村と合併し北葛飾郡鷲宮(わしみや)町となりました。

昭和12年の南埼玉郡全図(久喜市教育委員会)

昭和11年の粕壁町役場(春日部市郷土資料館)

綾瀬村(蓮田町)町制施行式典(蓮田市教育委員会)

八幡村役場・八潮村役場(八潮市立資料館)

豊春村役場(春日部市郷土資料館)

百間村役場
宮代町立百間小学校前の公共施設駐車場にありました。昭和30年7月20日に百間村と須賀村が合併した際には、宮代町役場として使用されました。昭和35年、宮代町中央に2代目の宮代町役場が出来たため、役場は移転しました。

昭和29年段階の埼玉県による埼葛地区の合併試案です。埼玉県の試案では後の宮代町の百間村や須賀村は杉戸町、堤郷村、田宮村、高野村、八代村と合併する予定でした。(八潮市立資料館)

カスリーン台風による災害復興計画書(久喜市立郷土資料館)
昭和22年段階では鷲宮町は南埼玉郡に属していたことが分かります。

町村合併会議録(春日部市郷土資料館)
武里村は春日部町、豊春村、北葛飾郡幸松村、北葛飾郡豊野村と合併し春日部市となり南埼玉郡から離脱しました。

須賀村役場

白岡町町制5周年記念警察音楽隊によるパレード(白岡市教育委員会)

昭和30年の白岡町役場(白岡市教育委員会)

昭和35年の宮代町役場

昭和30年代後半の菖蒲町役場(久喜市教育委員会)

昭和47年の八潮市市制式典(八潮市立資料館)
八潮町は昭和47年1月15日に市制を施行し南埼玉郡を離脱しました。

昭和47年10月1日の南埼玉郡
蓮田町が市制施行し菖蒲町、白岡町、宮代町の3町のみが南埼玉郡に属することになりました。

市制施行記念ペナント(白岡市教育委員会)
白岡町は平成23年10月1日に市制を施行し南埼玉郡から離脱しました。こうして、宮代町が南埼玉郡唯一の地方自治体となりました。

平成17年度に完成した宮代町役場

白岡市役所(市制施行記念横断幕)

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