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平成20年度特別展「宮代町と岩槻城」で江戸中期の岩槻城絵図を初公開

[2016年11月27日]

ID:3518

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平成20年度特別展「宮代町と岩槻城」で江戸中期の岩槻城絵図を初公開

初公開される岩槻城絵図

一昨年度、字金原の関根さん宅で岩槻城の絵図が発見されました。この絵図は、城郭のみならず武家屋敷や城下町まですべて描かれているもので、大きさは約3m四方もあります。今まで、城下町まで含まれた岩槻城絵図については、江戸時代前期の阿部氏時代のものと江戸時代後期の大岡氏時代のものは確認されていましたが、江戸時代中期のものとしては初めての発見です。

宮代町郷土資料館では平成20年11月1日から「特別展宮代町と岩槻城」でこの絵図を初公開する予定です。併せて、岩槻藩領時代の宮代町の古文書や岩槻城の発掘調査で出土した遺物も展示する予定です。

岩槻城 本丸、二の丸付近

江戸時代後期の絵図とこの絵図との比較

展示会を前に、この初公開される江戸時代中期の岩槻城絵図の内容について一部を紹介したいと思います。江戸時代後期の絵図とこの絵図とを比較すると、細部で多くの違いが確認できます。城郭内では、まず堀の役割を持つ、沼の水位の違いが確認できます。江戸時代中期の絵図では、沼が元荒川に隣接し、城郭主要部から新曲輪に到るまで水色に描かれていますが、後期の絵図は干上がっており、一部には新しい道も確認できます。また、後期の絵図には三の丸に居宅(城主の御殿)が、二の丸には御成門があり、二の丸に将軍家の御成御殿があったようですが、中期の絵図には二の丸に居宅や表門が確認でき、城主の御殿が二の丸にあったことが分かります。本丸には「此所先年御成御殿在之由」とあり、以前将軍家の御成御殿があったことも分かります。

この他、城下町でも富士宿町付近の道の違いなども確認できますので、皆さんも、時代の違う絵図を比較しに郷土資料館にいらしてみてはいかがですか。
岩槻城 本丸付近
岩槻城 新曲輪付近

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