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あしあと

    第15回 島村家の系譜(14)

    • [初版公開日:]
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    島村盛助(9)

    岩波英和辞典の編さん作業のかたわらで、盛助はある作品の翻訳に着手していました。
    その作品は、イギリスの詩人でありジャーナリストとしても知られた、エドウィン・アーノルド(以下、「E・アーノルド」とします。)の抒情詩「亜細亜の光(原題「THE LIGHT OF ASIA」)」です。
    E・アーノルドは、一八三二年に生まれ、インドのデカン大校長や、イギリスの新聞である「デイリーテレグラフ」において主筆などを務めた人です。明治二十二年に特派員として来日しました。彼の三人目の奥さんは日本人であったそうです。東洋の文化や思想、生活などに造詣が深く、これらを題材とした作品をいくつか発表しています。そしてこの「亜細亜の光」は仏陀の一生を賛美した抒情詩で、出版されるとヨーロッパの各国で翻訳され、多くの人が読む本となったそうです。
    盛助が翻訳した「亜細亜の光」は、全8編からなり、これは原作の構成と同じです。
    盛助は、この翻訳を自分の勤める山形高等学校の校友会雑誌に発表しました。
    初回は、校友会雑誌第二十四号に「亜細亜の光 1の巻」として第1編が掲載されました。引き続き、第二十六号に「2の巻」、第二十八号に「3の巻」が掲載されました。約一年に一度の発表ペースでした。しかし第三十号の「4の巻」、第三十一号「5の巻」と毎号続けて発表した後は、第三十六号に「6の巻」を発表して終わりとなっています。残りに第7編と第8編があるのですが、これは校友会雑誌に発表されることはありませんでした。
    岩波文庫から盛助が翻訳した「亜細亜の光」が刊行されたのは、昭和十五年十一月二十九日のことでした。校友会雑誌に掲載されていた翻訳が、大手出版社の岩波文庫から刊行されたことは、当時の在校生たちにとって、島村教授への畏敬の念を改めて深めさせるものであったようです。
    ところで、この「亜細亜の光」の翻訳を思い立ったのはいつごろで、何故だったのでしょうか。また、翻訳の過程はどうだったのでしょうか。そのご紹介は、別の機会のお楽しみとさせていただきます。

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