ページの先頭です

共通メニューなどをスキップして本文へ

あしあと

    第10回 島村家の系譜(9)

    • [初版公開日:]
    • [更新日:]
    • ID:2711

    島村盛助(4)

    盛助が東京帝国大学文科大学(以下、「帝大」とします。)に入学したのは明治三十九年九月のことでした。
    残念なことに、帝大時代の盛助について知ることのできる資料もあまり見つかっていません。現在のところ、「帝国文学」及び「東京帝国大学一覧」という二種類の書籍に掲載されていることがわかっています。
    「帝国文学」は、帝大の教官、卒業生、在校生によって明治二十七年に結成された、帝国文学会の機関誌として発行されました。盛助は在学中に戯曲の翻訳を発表、卒業後もいくつかの作品を発表しています。これらの作品の紹介については、後の回で取り上げます。
    「東京帝国大学一覧」(以下、「一覧」とします。)は、学校総覧みたいな内容の書籍で、校則や教員一覧、在校生名簿、卒業生名簿ほかの情報が掲載され、基本的には毎年発行されています。
    今回は、盛助が帝大二年生となった、明治四十年十二月に発行された一覧に掲載された在校生名簿から、盛助や同級生たちについてご紹介します。
    旧制第一高等学校(以下、「一高」とします。)から一緒に卒業した同級生たちは、それぞれの専門へと分かれました。
    木下杢太郎(太田政雄)は医科へ進み、皮膚科の専門医となりました。富安風生(謙次)は法科に進み、逓信次官を勤めたのち、俳人として活躍しました。
    盛助が進んだのは文学科でした。一高からの同級生としては、英語学者の市河三喜がいました。また、旧制第三高等学校や第五高等学校などを卒業し、帝大で同級生となった人には、小野秀雄、田中秀央、下村湖人(内田虎六郎)、さらに学習院高等科からの同級生には、正親町公和、木下利玄、志賀直哉などがいました。
    また同じ文科でも、安倍能成や宮本和吉らは哲学科に進みました。この哲学科の同学年には、学習院高等学科を卒業した武者小路実篤もいました。
    在校生あるいは卒業生の名簿をみていると、さまざまな分野において近現代の日本を支えた人々の名を見つけることができます。その一人に盛助の名があることに、感動される方も少なくはないでしょう。

    東京帝国大学一覧の写真

    「東京帝国大学一覧」明治40年12月刊行

    お問い合わせ

    宮代町役場教育推進課文化財保護担当(郷土資料館)

    電話: 0480-34-8882

    ファックス: 0480-32-5601

    電話番号のかけ間違いにご注意ください!

    お問い合わせフォーム