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あしあと

    第05回 島村家の系譜(4)

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    島村繁

    島村繁の写真

    島村繁

    盛助の父は繁といい、慶応元年(一八六五)二月八日に生まれました。『俳檀史』には、「島村繁は雪操園と号す多少庵中鬼吉の孫にして梅年の子なり」と紹介されています。この一文から、これまで紹介してきた鬼吉、梅年、繁が盛助にとっては曽祖父、祖父、父であることが確認できます。

    『俳檀史』によると、「人となりは活発剛毅品位を具ひ貴公子の風あり、心を武道に傾け研鑽年を重ねて名手となり演武場を開き徒を集めて教授す贄を取り門に入る者幾百を以て数ふ、斯道に貢献する所多しとなす」とあります。活発剛毅でありながら品があり、貴公子のような風貌。武道を極めるために研鑽を重ねて、名手となった。演武場を開き弟子を集めて教授した。進物を手に繁のところに入門したものは数百人を数えた。武道に多大な貢献をしている、といった感じでしょうか。

    幕末から明治にかけての時期には剣術が非常に盛んに行われました。江戸だけでなく地方においても諸流派が競って町道場を設けました。繁が心を傾けた剣術は、直新影流という流派で、免許皆伝の腕前であったそうです。

    直新影流は山田平左衛門を流祖とし、幕末に男谷精一郎や榊原鍵吉などにより広められました。特に明治三年に士分以外の帯刀が禁じられたことによって町道場がたちゆかなくなり、武芸者に職を失う者が多くなったことから、榊原鍵吉らにより「撃剣会」という剣術興行が東京を中心に地方でも催されました。町域でも和戸と百間で二回ほどあったことが知られています。とくに百間で行われた明治十六年十二月二十八日の撃剣会では榊原鍵吉以下直新影流の一門一同が会した盛大なものであったそうです。盛助の生まれる前年に開催されたこの撃剣会には、当然、繁もその一員として加わっていたものと思われます。

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