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あしあと

    熊野詣(西国33ケ所巡り)、伊勢参宮

    • [初版公開日:]
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    • ID:2565

    熊野詣(西国33ケ所巡り)

    写真

    熊野三山をバックに描き、那智の滝を見物する11人の姿が描かれた絵馬である。熊野三山とは、熊野本宮大社、熊野速玉大社、那智の滝をご神体とする熊野那智大社の三社の総称である。古くから人々の信仰の場として「蟻の熊野詣」と言われるほど信仰者があとをついでやって来たと言う。一方、絵馬の中に描かれた道中ガッパに「奉納西国三十三所」とある所から、熊野三山そして那智山青岸渡寺を第一番として始まる西国三十三所を詣でた記念として奉納されたものと思われる。背景には那智の滝や那智大社が描かれている。折原家文書の中にある道中日記にも西国三十三箇所巡りが記されているが江戸時代後期宮代町の住民も盛んに巡礼と称し旅を楽しんでいたことがわかる。この絵馬は非常にのびやかに、また表情豊かに描かれた素晴らしい作品である。笠に武州の武、百間の百が記され、着物の図柄にも百間の百が画かれている。(表No.2)(宮代町指定文化財)

    伊勢参宮

    写真1
    写真2

    江戸時代の人々は、自由に旅をすることは禁止されていたが、寺社の参詣のために旅することは比較的自由であった。ことに、伊勢参りは江戸時代非常に盛んに行われ、伊勢講と呼ばれる団体組織を作って農民も遠く村を離れ参詣する様になった。厳しい日常生活から解放され「遊山」とも呼ばれているように数少ない楽しみの一つであった。
    この絵馬は、伊勢大社外宮へ参宮する5人の参詣者の様子が描かれている。伊勢参宮の記念として奉納されたもの。(表No.7)
    この絵馬は、神宮での雅楽の奉納の絵であり、中央に神座があり左右に楽人が並ぶ。雅楽を奏で、神宮が祝詞を奉上する。手前には紋付を着た奉納者10人の姿があり、冬の寒い時期であろう四角い火鉢が前に置かれている。伊勢太々神楽の1回の奉納料は江戸時代の記録によると30両もしたという。(表No.12)

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    宮代町役場教育推進課文化財保護担当(郷土資料館)

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