ページの先頭です

共通メニューなどをスキップして本文へ

あしあと

    宮代の職人

    • [初版公開日:]
    • [更新日:]
    • ID:2504

    今回の展示では宮代町に息づく6つの業種の職人のわざとその製品を紹介します。この他にも町内には建築にかかわる職人(大工、左官、屋根屋等)等が活躍しています。井戸屋、鍛冶屋などかつてはさまざまな職人がいました。一口に職人といってもそれを専業とする人や農業の合間や農閑期に副業として行っていた人があり、むしろ後者の副業として職人や商売をしていた例が多かったようです。そしてそれらは実に多種多様であったことが現在、家々に伝わる屋号から知ることができます。

    • 一例 東・辰新田の屋号に見られる職業
       ウンソウヤ オケヤ カゴヤ カジヤ カワラヤ カラスヤ(唐臼屋) クリデヤ(繰台屋)クルマヤ ゲタヤ コメヤ ダイク タマゴヤ タテグヤ タビヤ ツケギヤ トリヤ ネジヤ ヤネヤ ワタヤ

    職人の修業

    鍛えぬかれた技術を駆使し、芸術的な伝統工芸を作り出す職人。その技術の習得期間である修業について、桶の職人松沼氏(明治44年生)にお聞きしました。
    尋常小学校を卒業してすぐに春日部市に6代続く桶屋に修業に入りました。修業の期間は20歳の徴兵検査までの7年間。初めて教わったことは竹クギの作り方でこれは次の弟子が入るまで1年続きました。また、この間は「おいまわし」といって親方や兄弟子の遣いもしました。初めて作った製品はミズビシャクです。兄弟子に道具を借りて作りましたが手垢で真っ黒になり、「こんなもの、売れるか」と壊され、削り直しては壊されと2度は作り直しました。そしてヒキビシャク(肥やしを汲む)、イドヅリ(井戸水を汲む)と次第に大型の桶を作るようになりました。昭和初期のころは暮れになるとどの家もミズビシャクやテオケを新調したため飛ぶように売れ、桶屋は11月末ごろから忙しくなりました。一人前になると1日25本位割り当てられ、朝5時には起きて競争して作りました。カンナの歯を立てる音で周囲に早起きがわかってしまうので前の晩に歯を立てておいてから就寝しました。人より一枚でも早く多く削ることが大切だったそうです。

    職人の生活

    百間村箪笥製造組合規約写真

    「百間村箪笥製造組合規約」(昭和2年8月)には15か条の規約が定められています。それを通して当時の職人の生活について知ることができます。

    第7条 公休日は年間35日
    第10条 学校、青年団などの体育奨励、精神修養に関する集会や講話会にはなるべく出席すること
    第11条 夜業時間は普通10時まで、業務繁劇な時は12時までとする。(抜粋)

    お問い合わせ

    宮代町役場教育推進課文化財保護担当(郷土資料館)

    電話: 0480-34-8882

    ファックス: 0480-32-5601

    電話番号のかけ間違いにご注意ください!

    お問い合わせフォーム