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あしあと

    15用水組合と普請組合

    • [初版公開日:]
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    はじめに

    笠原沼代用水は享保十三年(一七二八)に笠原沼の開発にともない開削された用水路である。笠原沼の開発および笠原沼代用水の開削は、享保期の幕府における新田開発政策のなかで実施された見沼新田の開発、それにともなう見沼代用水の開削の一環として行われたものである。この事業の推進役となった人物が、八大将軍徳川吉宗に紀州から召し出された勘定吟味役井沢弥惣衛である。見沼新田や笠原沼新田は、享保期以前には用水源として利用されていた溜井や沼であり、新田として生まれ変わらせるために代替の用水源を求めなくてはならなかった。こうして開削されたのが見沼代用水であり、その分水の黒沼笠原沼代用水である。つまり、笠原沼代用水は、笠原沼の下流に位置する百間村などの用水源に代わるものとして開削されたのであった。このような形で開削された見沼代用水、黒沼笠原沼代用水は享保期以降の用水体系を形作っていたのである。
    黒沼笠原沼代用水は、戸ケ崎村(菖蒲町)に中島圦と呼ばれる圦樋を設けて見沼代用水から取水している。笠原沼代用水は、除堀分水堰(久喜市)で黒沼代用水を分流した北側の流路である。笠原沼代用水は、堀幅二間で流れ、原村(久喜市)で伏越を設けて庄兵衛堀を通過する。その後、西粂原村地内の西粂原分水堰で、南北に分水する。西粂原で二流に分水した用水は、ともに堀幅七尺で流れ、北側の流路(中須用水)は、須賀村や蓮谷村、百間中島村を灌漑している。南側の流路(百間用水)は、上野田村(白岡村)で伏越を設け野牛高岩落堀を通過していた(上野田伏越)。また、同村地内で爪田谷落堀(姫宮落堀)を掛渡井を設けて通過していた(上野田掛渡井、爪田谷掛渡井ともいわれる)。笠原沼代用水は、このように東粂原村などの耕地を灌漑したあと、最終的に姫宮堀に落ち、大落堀(古利根川)に排水した。

    笠原沼代用水組合

    笠原沼代用水は、用水管理の負担の均等化を図るために、用水を利用する村々で用水組合が編成されていた。さらに、黒沼代用水を利用する村々を加えて黒沼笠原沼代用水組合が編成されていた。この用水組合の成立年代は、史料上からは明らかでないが、黒沼笠原沼代用水の成立と同時期の編成であると思われる。この用水組合は、東粂原村をはじめ、現在の宮代町、菖蒲町、久喜市、白岡町、岩槻市、春日部市に属していた村々四六カ村によって構成されていた。笠原沼の開発によって新田となった東粂原村や須賀村、蓮谷村などの持添である笠原沼新田も、この組合に含まれていることが確認できる。そのため、笠原沼新田にも笠原沼代用水から用水が引かれていたと推定される。
    百間村や蓮谷村、東粂原村などの宮代町内の村々の多くは、黒沼笠原沼代用水組合内の笠原沼代用水組合に属しており、さらにこの組合は、用水の流路に沿って上組・中組・下組に組分けがされていた。上組に属す村は、東粂原村をはじめ西粂原村、原・下早見・青柳・太田袋村(以上久喜市)であることが確認できる。また、中組は、野牛村、高岩村(以上白岡町)の二カ村である。この二カ村より下流の西粂原・東粂原村が、上組に属している理由は不明であるが、東・西粂原村は、当初、上組である下早見村や青柳村付近から用水を引いていたために上組に属していたのであろうか。その経路である和戸村は下早見村などから用水を引いていたことが確認できる。下組は、上野田・爪田ヶ谷村(以上白岡町)、須賀・蓮谷・中島・百間・百間西(中)・百間東村となっている。組合の運営については、村々の名主を中心に年番制で惣代が行い、重要な役割を果たしていた。

    黒沼笠原沼代用水組合

    普請組合

    笠原沼代用水組合では用水組合とは別に、堰や圦樋などの用水施設の修繕普請を実施する普請組合が存在していた。東粂原村が属す普請組合は、原村地内伏越の普請をする「笠原用水路十六カ村組合」、西粂原村分水堰の普請を実施する「十一カ村組合」に属していたことが確認できる。このほかに、笠原沼南側用水では上野田伏越・上野田(爪田谷)掛渡井の普請を実施する「六カ村組合」、笠原北側用水の下流に位置する中嶋堰については「七カ村組合」というように普請組合が編成されていた。
    普請組合は、各用水施設を利用する村で結成されていた組合であると思われる。東粂原村は、原村地内伏越と西粂原分水堰のほかに、黒沼笠原沼代用水組合全体に関わる用水施設の普請として、中島圦と除堀堰の普請の負担をしていたことが知られる。このほか東粂原村内の用水施設として、伏越三カ所、繰樋二カ所、掛樋一カ所があったことが確認できる(第三章番号十四)。
    笠原沼代用水は、関東の重要河川と同じく幕府の普請役が管理する「定掛場」として設定されていたと思われる。そのため、主要な用水施設は幕府が普請の費用を負担する「御普請所」となっており、中島圦、除堀堰、上野田伏越、上野田(爪田谷)掛渡井、そして西粂原分水堰などがそれにあたる。

    02 普請役と用水管理

    03 笠原沼代用水をめぐる争論

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