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あしあと

    01江戸時代の旅

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    江戸時代、幕府は、参勤交代や物資の輸送、役人の往来などのために全国に街道や宿場など交通の整備を行いました。それに伴い江戸時代中頃以降、庶民の旅も盛んに行われるようになりました。しかし、そのほとんどは社寺参詣など信仰の対象としての旅でした。各街道の要所に置かれた関所では「入り鉄砲に出女」などのように人々の往来を制限し、領主や寺が発行した伊勢参詣などの目的が書かれた往来手形がないと関所を通ることができませんでした。そのため、庶民は社寺参詣などの名目で全国各地の名所・旧跡・観光地などを廻る旅に出かけました。こうした旅は、厳しい日常生活から解放される「遊山」とも呼ばれ、人々にとって一世一代の数少ない楽しみの一つでもあったようです。
    さて、旅には、往来手形、小田原提灯、矢立、煙草入れ、行李、携帯枕などさまざまな道具を持って行きました。また、道中案内のガイドブックや旅の様子を記す道中日記も必需品であったようです。
    宮代町内でも江戸時代中頃以降、神社に残る石造物や絵馬、道中日記などから盛んに旅に行ったことが明らかとなっています。今回の展示では百間源太宿に住んでいる百間村組頭清次郎さん(51歳)の旅を道中日記から復元しました。天保12(1841)年1月から約2ヶ月半にわたって、東海道・伊勢路を通り伊勢神宮や熊野那智大社をはじめとする西国三十三箇所、四国の金刀比羅山、天の橋立、若狭小浜、中山道を通り善光寺、草津などを経て3月12日に百間に帰郷しました。非常に盛りだくさんのスケジュールでした。なお、清次郎さんは、後に百間村の名主を勤めています。

    傘と道中合羽
    道中日記

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