ページの先頭です
メニューの終端です。

第1回 天災は忘れた頃にやってくる

[2016年11月2日]

ID:433

ソーシャルサイトへのリンクは別ウィンドウで開きます

いつ、どこで発生するか予測することが難しい天災。私達の身近で発生した時、どうすれば被害を食い止め、自分を、家族を守ることができるでしょうか。
このシリーズでは、自主的な防災活動の必要性や方法、すでに防災活動に取り組んでいる地域について紹介するとともに、最近急増している犯罪への対策についても皆さんと一緒に考えていきたいと思います。

宮代町で発生した大災害

私達の暮らす宮代町は、近年、地震や洪水といった大きな自然災害がほとんど無く、今のところ大変住みよい町です。しかし一方で、宮代町に限らず、すべての地域で記録的な豪雨や大地震発生の危険性が高まっているといわれています。もし、災害が発生したら私達はどうなるのか、過去に宮代町を襲った災害を例に、考えてみましょう。
1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災は、発生時刻が午前11時58分と昼どきであったことと、台風の影響による強風が重なり、広範囲で火災が発生し、死者が10万人を超える大惨事となりました。震源地から100キロ以上離れた宮代町でも、最大震度6弱を記録。建物の全壊75戸、半壊85戸、死傷者9人という被害が発生しました。当時の町の人口は7千人弱、世帯数も1200戸と、現在に比べ人口は5分の1、世帯数は10分の1ほどであったことを考えると、いかに大きな被害であったかがうかがえます。
水の災害では、1910年(明治43年)に長時間の降雨を原因とする河川の増水により、利根川上流部の堤防が決壊し、8月12日、濁流が旧百間村の大部分を呑みつくしました。幸いにも、この洪水では村の救助船の活躍などにより、一人の犠牲者も出ませんでした。
また、1947年(昭和22年)にも、カスリーン台風の降雨によって利根川が決壊し、宮代町域にも洪水が押し寄せました。旧須賀村では、浸水1759戸、橋梁の流出2か所、大破11か所という被害が発生し、交通が全く機能しなくなったとの記録が残っています。

社会変化による新たな危険

現在は、当時と比較すれば災害対策は向上していると思われます。しかし新たな問題として、住宅密集化が進み火災の延焼被害の危険性が増しているほか、一人暮らし高齢者の増加や隣近所とのコミュニケーションが希薄になり、避難や救助にも支障が生じるという危険性が生じています。
また、保水能力のある森林の減少に加え、コンクリートやアスファルト舗装が進んだため、雨水の処理能力を超えた場合の洪水の危険性が増しているといわれています。

高まる大地震の発生確率

関東大震災の発生から今日まで80余年が経過し、震災の経験者も減少している今、ついその恐ろしさも忘れがちですが、私達が暮らす南関東地域では、マグニチュード7クラスの直下型地震発生の可能性が高まっているとされており、その確率は30年以内に70%といわれています。

自主防災組織が大活躍

阪神淡路大震災では、交通の遮断や断水のため、消火・救助活動に大きな支障が生じました。また、行政や消防署の職員が足りず、すべての現場に駆けつけることは不可能でした。倒壊した建物から救助された方のうち、6割以上が家族や友人、隣人により救助され、救助隊に救出されたのは、わずか1・7%でしかなかったのです。
そのような状況の中、神戸市の長田地区では、自主防災組織がバケツリレーなどによる初期消火に努め、火災の延焼を防ぎました。また、ほとんどの家屋が倒壊した淡路島北淡町でも、日頃の近所づきあいが救助活動に大きな力を発揮し、地震発生日の夕方には全員の安否が確認されるなど、地域住民の活動が大きな役割を果たしました。
これに対して宮代町は、自主防災組織率が25・5%と、県平均の62・8%を大きく下回っています。早急に自主防災組織を設立し、地域の防災力を向上することが必要です。
安心安全のまちづくりは、行政の力のみで成し得るものではありません。「自助・共助・公助の精神」のもと、町民総参加で、災害による被害を減らす活動に取り組む必要があるのではないでしょうか。

関東大震災の写真

関東大震災は各地に未曾有の被害をもたらしました。(旧幸手町の状況・宮代町史通史編より)

お問い合わせ

宮代町役場町民生活課生活安全担当

電話: 0480-34-1111(代表)内線276、277、278(2階15番窓口)

ファックス: 0480-34-1093

電話番号のかけ間違いにご注意ください!

お問い合わせフォーム

ご意見をお聞かせください

  • このページは役に立ちましたか?

  • このページは見つけやすかったですか?